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1960年代から1970年代にかけて、韓国では大々的に「節米運動」が繰り広げられた。朝鮮戦争後に人口が急増したことで、農業生産性が低かった当時、コメが大幅に不足したため、その代わりに米国から援助で得られる小麦粉やトウモロコシを食べようというものだ。また、農業に関わる人口を減らし、工業化に必要な労働力を確保しようとする目論見もあったと言われている。

1969年から1977年にかけては、毎週水曜日と土曜日が「無米日」に指定され、コメでできた食べ物の販売が禁止された。その代わりに麺やすいとん、パンなどの粉物が推奨された。児童、生徒には100%大麦を使った弁当が強いられ、本来はコメから作るマッコリにも小麦粉を混ぜるよう指示された。

このような「混粉食推奨運動」は、品種改良などによりコメが自給できるようになった1980年代以降に消えていったが、この当時に生じた韓国の食文化の大きな変化は、今に至るまで影響を残している。「コメでなければ腹持ちが悪い、パンはあくまでもおやつ」という考えは過去のものとなった。

一方、2020年代初頭の北朝鮮は、近現代の韓国が経験したことのないような深刻な食糧不足に襲われている。コロナ対策として国境が封鎖され、中国から食料品が輸入されなくなった。元々国内生産分だけでは自給が不可能で、市場抑制策で人々の現金収入が激減したため、食べ物の蓄えも、またそれを買うだけの現金もない「絶糧世帯」が続出し、中には餓死に追い込まれる人もいた。

そんな北朝鮮では現在、「粉物を食べようキャンペーン」が繰り広げられている。平壌のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

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平壌市人民委員会(市役所)は今月初め、各区域の人民委員会(区役所)にこんな指示を下した。

「元帥様(金正恩総書記)の対外革命活動でロシアから多くの小麦粉が入ってきたので、11月までに安い小麦粉が国の倉庫にあふれるはずだ。住民に粉物を奨励せよ」

金正恩氏がロシアを訪問し、大量の小麦粉を持ち帰ったとの噂が広がっていたが、噂ではなく事実だったようだ。

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(参考記事:「金正恩が小麦を…」出所不明の噂に振り回され続ける北朝鮮国民

北朝鮮の人々の主食はコメだが、当局は「朝食は粉物、昼食はコメ、夕食はトウモロコシ麺を食べて、食文化を多様にするのが健康にも良い」と宣伝している。また、「革命の心臓部である平壌市民が率先して、朝食に粉物を食べる運動を始めなければならない」として、各人民班(町内会)に事業を進めるようにも指示した。

中区域の人民班会議では、「平壌市民であるわれわれが、粉物文化の先頭に立つべき」と強調された。それを聞いた住民の間では、ロシアの支援があるから、今後は食糧問題が逼迫することはないだろうとの楽観論が広がっている。

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近年では、北朝鮮で最も食糧事情のよい平壌ですら飢える人が続出するほどの事態となっていたが、当面は問題ないようだ。

(参考記事:北朝鮮「首都市民の4割が飢餓状態」の衝撃情報

市民の間では、小豆に砂糖を入れて作る小豆パンが人気で、コシの強いうどん、餃子、中身の入っていない蒸しパンなどが「簡単に作れて好まれている」と、情報筋は説明した。

金正恩氏は、国民が過去数十年間にわたって、救荒作物であるトウモロコシにすがって延命する状態から脱し、麦の栽培を奨励して、食生活の改善に取り組む方針を示していた。今回の小麦粉の大量供給は、それに沿ったものと言えよう。

しかし、平壌市民とは異なり、地方の住民にとって小麦粉はトウモロコシより高くて手が出せず、食糧事情の改善には至っていないようだ。

(参考記事:餓死者発生の北朝鮮に大量流通し始めた「ロシア産小麦粉」