北朝鮮では2021年12月27日から5日間にわたり、朝鮮労働党中央委員会第8期第4回総会が開かれた。その内容を伝える国営朝鮮中央通信の記事の文字数は、全部で14899文字(朝鮮語ベース)。うち、6344文字を占めているのが農業問題だ。北朝鮮と金正恩総書記がこの問題をいかに重要に捉えているかが克明に表れているが、北朝鮮の抱える農業問題とはいかなるものなのか。
(参考記事:「農民の古い思想を根絶」金正恩氏、党総会で農村3大革命を提唱)農業の集団化
事の発端は70数年前に遡る。朝鮮が日本の植民地支配から解放され、ソ連軍政下にあった1946年3月、北朝鮮人民委員会の委員長の職にあった金日成氏は土地改革を断行し、地主から土地を奪って貧農に分け与えた。この政策は、農民からの大きな支持を得た一方で、地主からは激しい抵抗にあった。
朝鮮戦争後の1954年11月、朝鮮労働党中央委員会全体会議で金日成首相(当時)は、「ソ連の経験のとおり、農業協同化運動は法則に合っていて、社会発展の客観的な要求を反映した必然的な運動」であるなどと述べ、農業集団化の必要性を説いた。
当時は農業の集団化が農業生産増大に繋がると信じられていた。集団化は1962年に完了し、農村は複数がひとつにまとめられ、3000あまりの協同農場に再編された。大増産キャンペーンである「千里馬運動」の影響もあり、当初は農業生産高は増加。朝鮮中央年鑑によると、1949年の農業生産量は265.4万トンだったが、朝鮮戦争時に激減、1956年に戦前の水準に回復し、1960年には380.3万トンに達した。
しかし、すぐに行き詰まりを見せた。前述の年鑑では大幅な増加が続いていることになっており、1966年には420万トン、1984年には1000万トンに達しているが、これは大幅に水増しされた数字と見られている。
行き詰まりの最大の原因は、農業集団化が抱える最大の問題である農民のモチベーション低下だ。働いても働かなくても、得られる分配の量が同じであることに起因する。
(参考記事:「現場はまったくやる気なし」北朝鮮の農業不振対策)ところが、千里馬運動という生産量増大キャンペーンにより、ある程度の成功を収めた北朝鮮は、こうした問題点を直視できなかった。同時に、金日成政権が独裁者としての性格を強めていく中で打ち出されたチュチェ(主体)思想、それに基づいたとされるチュチェ農法が、北朝鮮の農業を破壊していく。
根拠不明なチュチェ農法、農業の非専門家である党幹部の専横
黄海道(ファンヘド)と平安道(ピョンアンド)には、朝鮮西海(黄海)に面して気候が比較的温暖で平地が多く、穀倉地帯となった地域がある。その一方で、山がちで冬は極度に寒く、夏は寒冷で農業に適していない地域が国土の多くを占める。
故金日成氏と正日氏が提唱した「チュチェ農法」は、地域の気候、特性などをまったく考慮しない非科学的な農法で、伝統的な経験農法からもかい離していた。
(参考記事:「チュチェ農法で耕作実績更新」と宣伝する北朝鮮、その実態は)
その代表例が、全国段々畑化だ。
1976年10月の朝鮮労働党第5期12回全体会議で採択された「自然改造5大方針」に基づき、大々的に山を切り開き、国中に段々畑を作った。保水力を失った山からは、大雨のたびに土砂が流出。大規模な水害を引き起こし、農場に壊滅的な被害を与えた。それらが重なった結果、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」の一因となった。
インセンティブ制度の失敗と虚偽報告
働いても働かなくても同じだけの分配が得られる集団農業の制度では農民のモチベーションが高まらず、インセンティブ制度である「圃田担当制」が一部で施行されるようになった。
国は土地の一部を農民に任せ、農民は収穫の一部を国に納め、残りを自分のものにできるというものだ。
ところが、北朝鮮で横行する虚偽報告が、この制度のネックになっている。
(参考記事:進まない北朝鮮の農業改革にやる気を削がれる農民たち)北朝鮮の農業生産量は、鉱工業と同じように国家計画委員会が前年の収穫高に基づいて決定する。それを達成できなければ、農場の幹部は処罰の対象となる。天変地異などの不可抗力などは一切考慮されない。
そのため、収穫高を水増しして上層部に報告する。水増しされた数字に基づいて翌年のノルマが決まるため、実際の収穫高との乖離が生じ、農民は収穫物を残らず供出させられる状況となった。
この深刻さには金正恩氏も気づいているようで、2021年3月の市、郡党責任書記講習会で「農業部門に根深いホラをなくすための闘いを度合い強く展開しなければならない」として、虚偽報告に警告を発している。
(参考記事:金正恩氏「非社会主義を制圧、根深いホラをなくす」…講習会で強調)「逃散」による労働力の不足
北朝鮮の人々は都市戸籍と農村戸籍に分けられ、自由な移動が許されていない。農業で食べていけなくなっても、都市部に仕事を求めることもできないのだ。
それでも、背に腹は代えられない。
借金を重ねて首が回らなくなった農民は、日本の近代以前に起こっていた「逃散」(ちょうさん)のように、違法を承知で農場を捨て去り、儲け話のある都会などに去っていく。当局は、農民を連れ戻すために様々な策を講じてはいるものの、必ずしもうまく行っていないようだ。
(参考記事:出稼ぎに出た農民を「強制連行」する北朝鮮の協同農場)そこで、都市部の若者に農村行きを嘆願させる「嘆願事業」が広く行われるようになった。もちろん、嘆願は大嘘で、実際には地域ごとに徴募人数がノルマとして割り当てられ、半強制的に送り込まれるというものだ。
一方、軍隊は世界最長の10年の兵役を短縮させる代わりに、出身地に戻るのではなく、農村に送り込むという「集団配置」を行う。いずれも、不足する農村の労働力を補うためのものだが、早速トラブルが頻発している。
(参考記事:各地でトラブル続発、北朝鮮の農村「嘆願」事業)横流しの多発
協同農場での収穫物は、本来は国が買い上げて、軍、一般人民などに供給し、生産高に応じて農民に分配される形式となっている。ところが、この仕組みがうまく働いていない。
借金で首が回らなくなった農民は、生きていくために、脱穀などの過程で収穫した穀物をくすねて市場に売り払う。また、輸送過程では輸送担当者が穀物をくすねて市場に売り払う。かくして、当初の量から大幅に目減りした状態で届けられる。中には、中身をコメではなく、より安いトウモロコシに入れ替えて、重量だけ帳尻を合わせるケースも報告されている。
このような横流しの多発のしわ寄せは最も弱いところに行く。例えば、軍の末端兵士は、軍からの配給だけでは必要エネルギー量を満たせず、栄養失調にかかる者が続出する。空腹に耐えかねた一部兵士は、民家や農場を襲撃して食糧を奪う。中には、国境を超えて中国の民家を襲う者すらいる。
(参考記事:「空腹で動けない」飢餓に苦しむ北朝鮮軍…金正恩も打つ手なし)北朝鮮農業の未来は?
農民は、自宅の庭や近隣の里山に自らが切り開いた畑「トゥエギバッ」を持っている。国や党、農場の経営委員会から干渉されることなく、自分のやりたいように農業を行っているのだが、ここでの収穫が非常に好成績を収めていると言われている。
取れた野菜と穀物は自家消費し、残りは市場で販売するが、質の良いものほど高く売れるため、自然とトゥエギバッの作物の方に力が入るのだ。このトゥエギバッが、北朝鮮の農業の未来を切り開く鍵と言えよう。
何をどれだけ、どう作るかを国家経営委員会が決める従来の方式ではなく、すべてを農民自身に決めさせ、収穫物を市場価格で買い取る形にすれば、農業生産量が飛躍的に伸びる可能性を秘めているということになる。
ところが、現在の北朝鮮で行われているのは、上述のような集団配置、嘆願事業、田植えと稲刈りの時期の都市住民の動員など、単純な労働力の送り込みばかりだ。
極めつけは、3大革命小組の農村への派遣だろう。農民を思想的に改造して、農業生産増大を図るという頓珍漢な政策が行われているのだ。
(参考記事:北朝鮮版「紅衛兵」になることを拒否する北朝鮮の若者たち)頓珍漢と言えば、食糧増産のためと称して、トゥエギバッを没収するという政策もそうだ。地下経済の一種であるトゥエギバッでの農業をやめさせることで、公式の統計に捉えられる農業生産高は増加するかもしれないが、農民のやる気を削ぐことで、実質的な生産は減少する結果をもたらす。
(参考記事:食糧確保のため庶民の畑を奪う金正恩と「10年前の悪夢」)