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北朝鮮の首都・平壌の北東郊外、龍岳山(リョンアクサン)の麓にある朝鮮民主主義人民共和国保衛大学は、一般的には「平壌保衛大学」と呼ばれる。国家保衛省(秘密警察)の幹部や工作員を養成する機関だ。

そこの学生たちが、中国との国境に接する地域に派遣されたのは昨年12月のこと。今年1月の朝鮮労働党第8回大会に向けて、住民の思想動向を探り、懐柔事業を行うのが目的だ。咸鏡北道(ハムギョンブクト)の司法機関の幹部は、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)に対して、咸鏡北道、慈江道(チャガンド)国境沿線(沿い)の全地域に2000人の学生が派遣されたと明らかにしている。

この幹部によれば、会寧(フェリョン)と茂山(ムサン)に派遣された学生らは、洞や里(末端の行政単位)、人民班(町内会)で、食糧が底をついた絶糧世帯や無職者世帯の人々との面談を実施。生活上の困難や問題点を把握すると同時に、党を信じて今の経済危機を克服しようと説得、懐柔に当たっていたという。

また、これに先立って社会安全省(警察庁)が傘下の政治大学の学生を「打撃隊」として現地に派遣、路上での商売を取り締まらせるなど風紀引き締めを行なってきたが、コロナ鎖国により極度の生活苦に直面した住民の恨みを買ったため、入れ替わりに保衛大学の学生が派遣されたと説明した。

国境沿いの地域では、防疫規定に違反する脱北、密入国、密輸事件が相次ぎ、封鎖令(ロックダウン)が繰り返し下された。数週間に渡り一切の外出が許されず、多くの人が生活苦に追い込まれ、餓死者が続出するなどし、地域住民の不満が非常に高まっていた。

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(参考記事:「コロナより餓死が怖い」北朝鮮国民、市場封鎖に猛反発

現地のデイリーNK内部情報筋によると、学生らは先月中旬に下された撤収命令に基づいて、5ヶ月間の活動を終えて今月初めに全員撤収した。現地に「アメとムチ」を届けるために派遣されたはずの彼らは、実際にはムチばかり振るっていたようだ。

まず、頭を抱えていたのは現地の保衛員たちだ。派遣された学生に部屋と食事の提供を強いられたからだ。1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」で、地方の一般住民への食糧配給が途絶えた中でも、体制を末端で支える保安機関の要員とその家族に対する配給は続けられた。しかし、コロナ鎖国による食糧事情の極度の悪化を受け、昨年11月からは保衛員本人の分だけに減らされ、家族の分は出なくなってしまった。

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それに加えて、学生の分の食糧も必要になったが、国からの配給が増やされるなどの配慮は一切なかった。保衛員たちは結局、地域の家々を回り、食べ物を少しずつ集めて学生に分け与えるなど、学生の世話に追われるはめとなった。

(参考記事:配給停止で食糧確保に駆けずり回る北朝鮮の警察官

一般住民も、学生たちを歓迎する雰囲気ではなかったという。家にやってきて面談を求められ、食事を出してタバコを掴ませるなどの対応に追われた。中には、わざと食事時間に合わせてやって来る者もいたという。

下手な扱いをすると、報告書にどんなことを書かれるかわからず、ただひたすらおとなしくしているしかなかった。撤収を受けて保衛員からも住民からも喜びの声が上がったのは言うまでもない。

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国境警備強化のために、この地域に派遣されていた朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の特殊部隊「暴風軍団」も最近、撤収したが、地域住民の評判が散々だったのはこちらも同じだ。

(参考記事:金正恩の特殊部隊 「ポンコツ」過ぎて中朝国境から撤収