金正恩氏の露骨な「軍イジメ」…北朝鮮の先軍政治に異変

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金正恩氏が、金日成主席の死去から22年を迎え、平壌の錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を訪れた。しかし、過去にはない異例の参拝となった。

「変態幹部」も軍服姿で

金正恩氏が北朝鮮の最高指導者となったのは2011年12月である。その翌年から金正恩氏は、毎年、金日成氏の誕生日(太陽節)と命日(7月7日)、そして金正日氏の誕生日(光明星節)と命日(12月17日)に、錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を参拝している。

その様子は北朝鮮メディアで公開されており、基本的に軍服姿の朝鮮人民軍の幹部が周囲を固めていた。朝鮮労働党幹部がスーツ姿で混じることはあるが、軍服姿の幹部のみのケースが多い。軍を優先する「先軍政治」を象徴するセレモニーとも見られていた。

ちなみに本来、政治将校で生粋の軍人とはいえない崔龍海(チェ・リョンヘ)氏は、わざわざ軍服で参拝することもあった。正恩氏の側近の一人だが、「変態性欲者」であるとの情報もあり、その評判は軍の内外を問わずきわめて悪い。それだけに、あえて軍服を着ることによって自らの権威を誇示したかったのかもしれない。

異変が生じたのは今年の光明星節(2月16日)からだ。北朝鮮メディアは、金正恩氏と李雪主(リ・ソルチュ)夫人だけが錦繍山太陽宮殿を訪れたと伝え、軍幹部を含め、随行者と参拝した様子は報じなかった。今年4月15日の太陽節には、従来と同じく軍服姿の朝鮮人民軍メンバーと参拝。2月の異例の参拝は、一時的なものかと思われた。

軍にも血の粛清

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しかし、今回の金日成氏の命日の参拝には、朝鮮労働党中央委員会の各副委員長のみが随行し、軍服姿の軍人は一人も見られなかった。本日付(7月8日)の労働新聞1面に掲載された写真を見て欲しい。朝鮮労働党政務局(旧書記局)のメンバー10人のみが人民服で参拝している。

写真左から金英哲(キム・ヨンチョル)、呉秀容(オ・スヨン)、金平海(キム・ピョンヘ)、金己男(キム・ギナム)、崔龍海(チェ・リョンヘ)、金正恩(キム・ジョンウン)、崔泰福(チェ・テボク)、李スヨン、李萬建(リ・マンゴン)、郭範基(クァク・ポムギ)の各氏
写真左から金英哲(キム・ヨンチョル)、呉秀容(オ・スヨン)、金平海(キム・ピョンヘ)、金己男(キム・ギナム)、崔龍海(チェ・リョンヘ)、金正恩(キム・ジョンウン)、崔泰福(チェ・テボク)、李スヨン、李萬建(リ・マンゴン)、郭範基(クァク・ポムギ)の各氏

この中で軍出身者は金英哲氏だけだ。つい先日、筆者は本欄で「人民武力部」が「人民武力省」に改称され、事実上の格下げを指摘していが、こんなところにも、朝鮮人民軍の威信低下が示されていたのだ。

日本のメディアでは、北朝鮮が不可解な軍事行動に出る度に「軍部の暴走」や「軍部のクーデター」などとフィクション紛いの説が唱えられるが、ここ数年の間に軍幹部に対する粛正・処刑や、統制が強まっているのである。これは、1990年代に起きた血の粛清事件以来のことだ。

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では、金正恩氏が軍事優先から脱却しようとしていると見ることもできない。むしろ、金正恩氏を絶対的頂点とした軍政がほぼ完成していると見るべきだろう。すなわち、今後、北朝鮮がなんらかの軍事的暴走に出たとするなら、それは軍の暴走ではなく「金正恩氏の暴走」なのだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記