北朝鮮は最近、ノドンよりも射程が長く、日本全土とグアムの米軍基地までを射程に収めるムスダンの試射に連続して失敗しているが、それもいずれ技術力の向上につながるだろう。金正恩氏が試射と失敗を繰り返しているのは、メンツよりも核武装を優先させる強い意思の表れだ。
では、我々の側には、北朝鮮の核武装を拒否する強力な意思があるだろうか。マスコミの中には、北朝鮮の行動は、米国との対話を渇望するが故の一種のラブコールであると解説する向きもあるが、筆者の意見は違う。
国内外で残忍な人権侵害の責任を追及され、虐殺者のレッテルを貼られつつある正恩氏は、たとえ核を放棄しても、日米韓やEUなどの先進民主主義国からはまともに相手にしてもらえないことを知っている。それどころか、「人道に対する罪」への追及がいつまでも続き、それが自らの独裁体制を打倒すべき大義名分に転じるのを恐れている。
(参考記事:北朝鮮「核の暴走」の裏に拷問・強姦・公開処刑)(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「人道に対する罪」の実態)
そうなった場合、「核武装した虐殺者」と「核武装していない虐殺者」とではどちらが自分の身を守りやすいかと言えば、それは前者に決まっている。