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しかし、金正恩が自分と年齢が近い30~40代との同志関係を築こうにもそういう人間がいない。金正日とは違い、パルチザンの遺児が通う万景台革命学院や南山学校、金日成総合大学などに通っていないのでそもそも同級生がいない。かといってスイスの中学校の同級生を連れてくるわけにもいかない。

また、金正恩の生い立ちも複雑だ。金正恩が若い頃の金日成の真似をしているが、金日成は死ぬまで金正恩の存在すら知らなかった可能性が高い。彼にとって孫といえば金正男、金雪松だった。

成蕙琅のエッセイ<籐の家>には、金正日が成蕙琅に「正男ではなく男の子に名前をつけるならどういうのがいいだろうか」と聞いたので、成蕙琅が「金正哲」と答えたところ、2番目の妻の高英姫に生ませた次男の名前として付けられたというエピソードが紹介されている。つまり遠回しに名前を付けさせたのだ。

金正日は高ヨンヒとの間に生まれた子どもをできるかぎり金日成と成恵琳には隠そうとしていたと考えられる。「金日成は死ぬまで金正恩の存在すら知らなかった可能性が高い」との見解(ヒョン・ソンイル国家安全保障戦略研究所首席研究委員)は説得力があるように思える。