新権力下3年で起こった5つの変化

金正恩が権力を握ってから3年。北朝鮮には様々な変化が生じた。まずは何がどう変わったのか見てみよう。

(1)金正恩は張成沢を処刑して恐怖政治を敷き独裁体制の確立にとりあえず成功した。

(2)国内での住民による市場化が急速に進んでいる。当局主導の変化ではなく、市場に引っ張られる形での変化である。中国共産党が改革開放を強く推し進めて人々がそれに従った形とは異なる。

(3)羅先(ラソン)を除く19の経済開発区への外国資本の誘致が完全に失敗した。馬息嶺(マシンリョン)スキー場などの観光事業が成功する可能性も低い。体制維持のための資金は海外に労働力を送り出して得ている。

(4)北朝鮮の人権問題が国際問題となりつつある。2014年3月の国連北朝鮮人権調査委員会(COI)による発表で北朝鮮政府は反人道的な犯罪集団の烙印を押された。外交活動が困難となり、政治、経済など分野での交流に消極的な国が増えて大ダメージを受けた。

(5)北朝鮮住民の外部世界からの情報へのアクセスがさらに進んだ。

政権掌握から3年で金正恩の権力基盤が安定したとの見方もあるが、それは北朝鮮の体制を理解できていないか、体制の裏側を見れていないためだ。

北朝鮮の体制は首領(金正恩氏)個人の権威、能力、それを支えるシステムにより大きく左右される。思想、資源、外貨などの物質的、経済的な基盤、労働党、人民軍、政府の行政的基盤、国際社会で金正恩体制を支える外交的基盤のすべて適切に維持されなければならない。それらの基盤をすべて運営できる能力が金正恩に求められる。

祖父と父との決定的な違いとは何か

このような視点から金日成、金正日、金正恩を比較するとその違いが容易に理解できる。金日成時代は主体(チュチェ)思想、安定的な外交、計画経済、金日成個人のカリスマなど良好な環境の下でシステムがスムーズに働いていた。金正日時代には経済的基盤が崩壊し大きな危機に瀕したが、他の基盤は維持されていた。

また、中国と韓国が金正日を支援し、2000年代半ばまではアメリカや日本なども支援していた。しかし、今は行政、経済、外交などすべての基盤にほころびが生じている。経済は20年に及ぶ市場化の進行で金正日時代よりは好転したが、金正恩体制の耐久力強化に役立つとは思えない。

北朝鮮の体制は理論的に人民大衆→労働者階級→労働党→核心統治集団→金正恩の順に構築されている。このうち、人民大衆と労働者階級は既にこの体制から離れている。崩壊した主体思想と配給制度に代わって拝金主義と個人の生存競争が人々の心の中に定着した。党と金正恩が飯を食わせてくれるという幻想は既にない。

労働党は中央委員会と地方との軋轢が著しい。中央の指令に地方が食って掛かる有り様だ。国のリソース配分における差別に地方が反旗を翻す環境が既にできている。金正恩が核問題を解決せずして19の経済特別区への外資誘致を地方に迫ると予期できない事態が起きるおそれがある。

最後に労働党と人民軍という核心統治集団と金正恩の関係である。この関係においては「同志としての結びつき」が最も有利に働くが、年令による上下関係に厳しい朝鮮の文化的なコンテクストでは30歳の金正恩と高齢の側近たちとの間でそのような関係は成立し得ない。

崔龍海、趙延俊、黄炳瑞、李永吉、ピョン・インソン、金英哲などは金正日とだったら無理にでも同志関係を結ぶことはできるが、年齢が離れていて思想も経験も異なる金正恩とは不可能である。

金正恩と側近たちとの関係は地主(金日成、金正日)の息子と年老いた小作農との関係のようなものだ。崔龍海などのパルチザンの子孫の場合は、地主の息子と番頭との関係だろう。

金正日はパルチザン出身の長老たちを優遇しつつ、独自の権力基盤構築のために70年代初めから週に2回秘密パーティを開いて同志関係を確立させた。

しかし、金正恩が自分と年齢が近い30~40代との同志関係を築こうにもそういう人間がいない。金正日とは違い、パルチザンの遺児が通う万景台革命学院や南山学校、金日成総合大学などに通っていないのでそもそも同級生がいない。かといってスイスの中学校の同級生を連れてくるわけにもいかない。

また、金正恩の生い立ちも複雑だ。金正恩が若い頃の金日成の真似をしているが、金日成は死ぬまで金正恩の存在すら知らなかった可能性が高い。彼にとって孫といえば金正男、金雪松だった。

成蕙琅のエッセイ<籐の家>には、金正日が成蕙琅に「正男ではなく男の子に名前をつけるならどういうのがいいだろうか」と聞いたので、成蕙琅が「金正哲」と答えたところ、2番目の妻の高英姫に生ませた次男の名前として付けられたというエピソードが紹介されている。つまり遠回しに名前を付けさせたのだ。

金正日は高ヨンヒとの間に生まれた子どもをできるかぎり金日成と成恵琳には隠そうとしていたと考えられる。「金日成は死ぬまで金正恩の存在すら知らなかった可能性が高い」との見解(ヒョン・ソンイル国家安全保障戦略研究所首席研究委員)は説得力があるように思える。

金正恩の独裁システムは完成しない

そもそも金正恩と北朝鮮独裁体制は相容れないものだったのだ。サイズに合わない服を無理やり着ているようなものだ。そんな環境下で金正恩は張成沢を処刑し、軍幹部の階級を上げたり下げたりし、70代の司令官に体力テストを課すなど恐怖で支配した。

また、今年8月と10月に労働党の組織指導部と宣伝扇動部内にいた張成沢の関係者20人ほどを銃殺に処したとも伝えられている。

人民大衆と労働者階級の心は既に離れている。労働党は中央と地方が分裂している。金正恩と核心統治集団の間に同志としての関係は存在しない。

そんな金正恩に唯一残されているのは肉親しかいない。妻の李雪主、妹の金与正、そして腹違いの姉の金雪松しかいないのだ。金与正を最側近にせざるを得なかったのは北朝鮮式独裁体制の没落の結果だ。体制にヒビが入りそれが外部に露呈するのは時間の問題だ。

結局、金正恩はあまりにも早く独裁勢力の頂点に登ってしまったのだ。金正日は父の七光で1964年から20年に渡って自分の権力基盤を構築し、金日成が亡くなった1994年までの10年を父金日成に成り代わって絶対的な権力を行使した。そのおかげで金日成の死亡したあとも17年に渡って体制を維持することができた。

一方で金正恩が後継者として修行を積む時間は短かった。金正日の死後わずか3年で独裁体制を構築したが、それを「金正恩の独裁システムの完成」と言えるのだろうか。答えはNOだ。

金正恩は金正日時代から亀裂が生じていた独裁システムを恐怖政治でさらに亀裂を深めつつ権力の頂上に登りつめた。その基盤は当然弱くなるならざるを得ない。金正恩政権は砂上の楼閣だ。

金正恩が恐怖政治で「信頼性が高く、恒久的な持続状態」を安定させることができるだろうか?それは無理だろう。金正恩が独裁権力を維持するにはどうすべきか?それには経済を再生させて側近の側近の忠誠心を引き出すことだろう。

しかし、金正恩を取り巻く環境はすべて良くない。大急ぎで登りつめた分、下るときのスピードは速いだろう。それは2015年から始まる。

(文/孫光柱(ソン・ガンジュ)デイリーNK統一戦略研究所所長)

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