現在の北朝鮮の首都・平壌はかつて、「東洋のエルサレム」と呼ばれていた。
日清戦争後、朝鮮は中国の影響下から抜け出して国号を大韓帝国と改めたが、混乱が続き、日露戦争後の1905年11月、日本の保護国にされてしまった。そんな状況下の1907年1月、平壌市内の各キリスト教会が行事を開いたのだが、それをきっかけにキリスト教に帰依する人が激増した。日本の江戸末期の「ええじゃないか騒動」を彷彿とさせる現象が起きたのだ。
かくして、平壌や平安南道(ピョンアンナムド)は、朝鮮におけるキリスト教の中心地となった。平壌出身で、後に北朝鮮の主席となった金日成氏一家も例外ではなく、父親の金亨稷(キム・ヒョンジク)氏、母親の康盤石(カン・バンソク)氏は共に敬虔なクリスチャンで、おじは牧師だった。ちなみに、康盤石の「磐石」という名前は、イエス・キリストの十二使徒の一人である「ペテロ」にちなんだ名前だ。
そんな平壌のクリスチャンは、多くが富農だったこともあり、金日成氏が政権についた後に徹底的な弾圧を受け、韓国へと逃亡した。韓国のクリスチャンの多くが保守ナショナリストであるのは、「大韓民国こそが信仰を守ってくれた国」という考えに基づくものだ。今の北朝鮮は、宗教、特にキリスト教は存在を許されない信教の自由のない国だ。
(参考記事:「禁断の書」を持っていた北朝鮮女性、密告され処刑)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面さて、今回取り上げるのは「ペテロ」ではなく、「イスカリオテのユダ」だ。十二使徒の一員で、イエス・キリストを裏切った彼だが、北朝鮮で同じ「裏切り者」との意味でその名が使われている。中でも「五戸宣伝員」「通報員」――つまり住民の間に浸透している当局のスパイのことをを「ユダ」と呼ぶのだという。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。
両江道(リャンガンド)の情報筋は、この言葉はゼロコロナ政策による生活苦が深刻となってから、金正淑(キムジョンスク)郡で使われるようになったと述べている。
人民班(町内会)は20世帯から40世帯をひとくくりにしているが、そこには1〜2人の通報員がいる。通報員に選ばれた者は、住民の動向を保衛部(秘密警察)と安全部(警察署)に報告する。報告はもともと週2回だったが、食糧難で不満が高まったのを受け、今年から毎日に増やされた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面隣家の女性が、「国境が開かれれば脱北したい」と漏らしたのを保衛部に報告されたことで、保衛部に呼び出され、酷い目に遭わされた事例があった。
それを見た町内の人々は、通報員が通るたびに「ユダ」だと後ろ指を指して悪口を言い、下手に発言内容を通報されないように、徹底的に無視している。
一方、平安南道(ピョンアンナムド)の情報筋は、平城(ピョンソン)では、通報員に加え、同じように住民の動向を監視し、保衛部と安全部に報告する「五戸担当宣伝員」のことを「ユダ」と呼んでいると述べた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面五戸担当制とは、5世帯をひとくくりにして、工場や学校で選ばれた朝鮮労働党の熱誠党員が五戸担当宣伝員(リーダー)となり、住民の面倒を見る一方で、思想教育や監視を行うもので、かつての日本の隣組のようなものだ。
(参考記事:北朝鮮、かつて実施していた「五戸担当制」を復活か)食糧難の深刻化で世論が悪化しているのに気づいた当局は、通報員と五戸担当宣伝員による住民監視に熱心になり、さらには情報員(スパイ)を住民の間に紛れ込ませている。
一般市民は彼らのことを「ユダ」と呼び、「誰がユダかわからないから誰彼ともなく信じるな」と、当局が市民の間の相互不信を煽るやり方を批判している。
情報筋は、この「ユダ」という言葉の由来については言及していないが、RFAは、北朝鮮に多く存在するという地下教会を通じて、一般市民にも知られたと伝えている。
(参考記事:金正恩氏が地下信徒に「冷凍拷問」や「性拷問」を加える理由)