北朝鮮では、すべての生産手段は国有化されていて、各工場は国家計画委員会の定めた計画に従って原材料を受け取り、生産を行うことになっている。かつて社会主義の国が採用していた計画経済に未だに固執しているのは、世界広しと言えどももはや北朝鮮だけになってしまった――と、はた目には映る。
しかし、現実は異なる。北朝鮮経済の事実上の牽引役は、民間人が経営を行う私企業だ。
(参考記事:北朝鮮で「民間企業」が年々増加…「食堂の3分の2は民間経営」)平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋は、首都・平壌郊外にある北朝鮮の流通の拠点、平城(ピョンソン)の私企業の実態について詳しく伝えた。
例えば、2017年に市内の恩徳洞(ウンドクトン)にできた総合奉仕施設「平城院」。これは銭湯、サウナ、理髪店、レストラン、様々な店舗が入居する総合レジャー施設で、平壌にある「ヘダンファ館」などのレジャー施設と同様のものだ。きれいで便利なので地域住民の人気を集めているが、この施設を運営しているのは、外貨のヤミ両替で財を成した女性のトンジュ(金主、新興富裕層)だ。
(参考記事:【北朝鮮旅行記】金正恩同志肝いりの「ヘダンファ館」へ決死観光!)駅前洞(ヨクチョンドン)にある平城百貨店は、大同江、ソギョン、楽園、モランボンなどの貿易会社が仕入れた中国製品や国内製品を販売しているが、市場より安いと人気だ。鉄道駅が近い上に平壌への道路にも接続しており、商人が商品仕入れ用に利用することもある。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面この百貨店、公式には平城市人民委員会(市役所)の商業管理所の所属になっているが、実際に経営しているのは、複数のトンジュと貿易会社だ。商業管理所は、運営権を貸し与え手数料を受け取っている。徴税制度のない北朝鮮だが、地方政府はこのような形で「税収」を確保している。
(参考記事:経済制裁の深刻な影響下でもたくましく生き残る北朝鮮商人)平城を訪れた外国人観光客が撮影した複数の動画(外部リンク)には、平城百貨店に加え、自動車部品店、工業品商店、美顔・美容など様々な店舗がとらえられている。いずれも、上述のような形で経営されているものと思われる。
トンジュによる投資は合法的なものだ。2015年に改正された企業所法は、国営企業が自主的に資金を確保する権利を持ち、トンジュの資金を利用することを認めている。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面第38条(財政管理) 企業所は財政管理権を持ち、経営資金を主導的に確保し、効果的に利用し、拡大再生産を実現し、経営活動を円満に実現しなければならない。企業所は定めるところにより、不足する経営活動資金を銀行から貸し出しを受けたり、住民有休貨幣資金を動員、利用できる。
一方で、団体や個人の私有財産については規定が曖昧だ。民法は「個人所有権」について個人的で消費目的のもの、副業経理から派生する生産物、公民が購入あるいは相続したり、贈与を受けたりしたもの(58条)とし、住宅と家庭生活に必要な様々な家庭用品、文化用品、その他の生活用品、乗用車など(59条)としている。同時に国家所有権の対象には制限がない(44条)との条項もある。
事実上、個人が投資、経営する企業や商店は増えているが、国営企業などの名義を借りて経営するのは、不完全な私有財産権に対応する一種の安全装置と言えよう。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面一方で、従来どおりの経営を行っている国営企業の中には、苦境に追い込まれているところも少なくない。
例えば、金日成主席が現地指導で訪れたことのある、モランボン時計工場。1990年代に経営難で時計の生産を中断し、ある日本企業と合弁して小型の変圧器を製造してきたが、それも今では行われていない。
「首領様(金日成氏)がいらした」との赤い看板が掲げられた「名誉ある」工場だったが、それが逆に足かせになってしまった。
「需要がなければ他の商品の生産に乗り出すべきだったのに、ここの他に時計を製造する工場はなく、最高指導者の来訪地である『現地指導単位』なので、それも自由にできなかった。『建物を腐らせている、もったいない』と言われている」(情報筋)
数百人に及ぶ従業員は、月に1回は工場に顔を出すものの、普段は市場で自転車の修理、人造肉(ソイミート)を売ったりして糊口をしのいでいる。
そして、平城市内の平城洞(ピョンソンドン)所在の大同江蓄電池組立工場。年間約5000台の自動車用バッテリーを生産する工場で、旺盛な需要に支えられ好調を見せてきたが、昨年11月に突如として稼働を中断した。材料が確保できなくなったからだ。結局、国から受け取った土地でジャガイモ栽培を行うことでかろうじて存続している。
バッテリーを作っていた従業員たちは、ジャガイモ畑に投入された。これ以外に生き残る道はないので、年初から堆肥戦闘に参加している。
松嶺洞(ソンリョンドン)にある製紙工場では小中学生のノートと、包装紙を生産してきたが、質が悪く売れなくなっていたところに中国製品との競争が起き、敗れ去った。
質を向上させるために苦心しているが、原料のワラやパルプの供給が円滑ではなく、技術も資金もないため、匙を投げた状態だ。苦肉の策として、3階建ての工場の2階と3階は賃貸物件として貸し出している。