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北朝鮮の北東部、咸鏡北道(ハムギョンブクト)金策(キムチェク)にある城津(ソンジン)製鋼連合企業所(城津製鋼所)は金策(キムチェク)製鉄所、黄海(ファンへ)製鉄所などと並び、北朝鮮の鉄鋼業を支えてきた重要な製鋼所だ。前身は、日本の植民地統治下にあった1937年設立の日本高周波重工業城津製鉄所である。

その製鋼所の技術責任者が解任され、追放されたことが最近明らかになった。その経緯からは、北朝鮮という社会が崇高な革命の理念や共産主義という理想ではなく、コネやカネで動いていることが垣間見える。

現地の情報筋によると、城津製鋼所の朝鮮労働党委員会は今月1日、技術発展部の技師長を務めてきた50代のキムさんを解任する決定を下した。彼は家族とともに鉱山地域に追放となった。

解任の表向きの理由は、技術的革新を怠り国が定めた鉄鋼生産計画を3年間達成できなかったというものだ。しかし、どうやらそれだけではないようだ。

キムさんは北朝鮮随一の理工系大学、金策工業大学を卒業。大飢饉「苦難の行軍」の最中にあった1990年代に、金策製鉄所のチュチェ(主体)鉄開発チームで技師として働き始めた。

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チュチェ鉄とは、燃料が不足する状況で原料と燃料(コークス)が少なくても生産できる鉄鋼で、朴奉珠(パク・ポンジュ)総理が昨年4月の最高人民会議第13期第6回会議で行った報告にも登場する、制裁に打ち勝つ自力更生の産物として北朝鮮が宣伝しているものだ。

(参考記事:最高人民会議第13期第6回会議における朴奉珠総理の報告

しかし、「チュチェ鉄は失敗」とも言われている。

対北朝鮮援助団体「良き友」は2012年6月、中央党(朝鮮労働党中央委員会)の幹部の話として、チュチェ鉄の生産が期待の半分に満たず、責任を追求するため技術者を逮捕したと伝えている。

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キムさんがチュチェ鉄にどれほど関わったのかは不明だが、情報筋によると数々の功労で国家受勲を受け取った優秀な技術者だった。

しかし、優秀な技術者が世渡り上手とは限らない。コネとカネがなければ渡り歩いていけないのが北朝鮮 社会だが、キムさんはそのあたりを怠ったのか、危機に瀕した自分の身を守ってくれる有力者が誰もいなかったため、追放の憂き目に遭ってしまったようだ。

(参考記事:時代に乗り遅れ貧困化し始めた北朝鮮の「赤い貴族」

一方で、キムさんと同様に責任を取るべき人たちはうまく危機を乗り越えた。

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まず、城津製鋼所の支配人は責任を問われなかった。支配人は接見者、つまり最高指導者と直接会ったことのある人だ。それだけでも特別扱いされるようなお国柄なのに、地方の党委員会ごときが処罰するなどありえないのだ。工場技術部の技師長も同様の理由で処罰を免れた。

生産部の技師長も免責となった。息子が車光洙(チャ・グァンス)飛行軍官学校を卒業し、空軍价川(ケチョン)第1師団で追撃機のパイロットを務めているとの理由からだ。副支配人に至っては「生産、経営と直接関係がない」との理由でお咎め無しとなった。

友人や同僚、部下たちは「(キムさんは)貴重な人材だったのに、力がなかったため追放された」との残念がっている。

追放されたキムさん家族が送り込まれたのは、城津製鋼所から北に170キロ離れた茂山(ムサン)鉱山だ。豊富な鉄鉱石埋蔵量を誇り、城津を含む各地の製鉄所に供給していた。町は鉱山の生み出す収入で潤っていたが、国際社会の制裁のあおりを受けて操業が中断、親が子を捨てて逃げるなど、極貧地域に転落してしまった。

(参考記事:北朝鮮有数の鉱山が操業中断、路頭に迷う子供たち

茂山鉱山が正常に操業していれば、城津製鋼所は鉄鋼生産計画を達成し、キムさん家族が追放されることはなかったかもしれない。