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金正日総書記は苦難の行軍(大飢饉)が収束しようとしていた2000年、「39号室のカネが底をついたことが南朝鮮傀儡(韓国)や米国に知られていたら、攻め込まれていただろう」と危機感を示した。核開発はこのような危機感からスタートしたという。

1998年に金大中大統領は太陽政策を掲げたが、北朝鮮内部ではこれを「日光を当てて我々を丸裸にしようとする」敵対的なものとして見ていた。同時に、逆に利用し尽くそうという考えから、韓国の資本、物資を次々に受け入れた。一方で、資本主義思想は徹底的に遮断した。「蚊帳を二重、三重に張って『甘いものは受け入れ、苦いものは捨てろ』」(リ氏)ということだ。

北朝鮮経済の現状

北朝鮮経済の現状についてリ氏は、北朝鮮の1年の輸出額約30億ドルの45%を地下資源が占めており、他にも水産物が多く、資源輸出型経済となっていると話す。