当時はおりしも、北朝鮮最大の大飢饉「苦難の行軍」の真っ只中。クビになり、潤沢だった配給も打ち切られ、食べるのに困った彼らは、覚せい剤の製造、販売に乗り出した。
金正恩氏は、覚せい剤製造組織の解散と共に次のような指示を下していた。
「計画より超過生産したものは、海外で密かに販売せよ」
指示に従い、覚せい剤は日本や中国に密輸された。
「性生活が強くなる」
中国の中でも北朝鮮と国境を接している東北地方では、覚せい剤の中毒者が激増した。吉林省延辺朝鮮族自治州の延吉市では、薬物中毒者の数が、1995年の44人から2010年には2090人にまで増えた。
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