内閣は、経済計画に基づき、各工場に予算を配分し、「行票(ヘンピョ)」と呼ばれる小切手を使って送金していた。ヘンピョを受け取った工場は取引先に渡して材料を購入したり、銀行で現金化したりしていた。
ところが、計画経済の崩壊で、各地方の銀行には中央から現金が支給されなくなり、ヘンピョの現金化ができなくなった。工場間の取引は現金で行われるようになり、銀行は無用の長物となった。
咸興(ハムン)出身の50代の脱北者によると、90年代中頃に成川江区域の朝鮮中央銀行には全く現金がなく、玄関は固く閉じられていた。職員はみんな辞めてしまい、市場で商売に専念していた。
それ以降、送金や貸出の役目はトンジュ(金主、新興富裕層)が営む両替商に取って代わられた。
ところが、昨年12月に開かれた「第3回全国財政銀行イルクン(働き手)大会」や5月に開かれた朝鮮労働党第7回大会をきっかけに、北朝鮮の銀行が変わりつつある。
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