5月31日の月曜日の午前、東京・麻布十番の一角が一時、騒然とした空気に包まれた。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の若手メンバー約70人が集結。駐日韓国大使館に対し、抗議行動を試みたのだ。彼らが掲げた横断幕には、次のように書かれていた。

「共和国公民たちを集団誘因拉致した朴槿恵逆徒一味の特大型国際テロ行為を峻烈に断罪糾弾する!」

金正恩氏が直接指示か

何のことかと言えば、4月に中国で発生した北朝鮮レストラン従業員らの集団脱北は韓国当局による「拉致」であるとして、憤って見せているのである。

集団脱北の真相については、筆者にもわからない部分があるので、ここでは論じないことにする。興味深いのは、この問題における朝鮮総連の動向である。

朝鮮総連は24日、南昇祐(ナム・スンウ)副議長名義で、「(韓国当局は)前代未聞の集団誘引拉致犯罪について謝罪し、共和国の女性たちを遅滞なく無条件、送り返さなければならない」とする談話を発表。26日には傘下団体である在日本朝鮮人人権協会の金東鶴(キム・ドンハク)副会長と在日本朝鮮民主女性同盟の梁玉出(リャン・オクチュル)副委員長が、同様の談話を発表した。

横田めぐみさんらの拉致問題を抱える日本の国民感情を考えた場合、朝鮮総連が北朝鮮の立場から「拉致」の2文字に言及するのには微妙なものがある。しかも、人権協会の金副会長と女性同盟の梁副委員長は朝鮮学校の権利擁護運動で先頭に立っているだけに、日本社会との摩擦は極力避けたいはずだ。

筆者は、対北朝鮮制裁の影響が朝鮮学校に及ぶようなことには反対だが、朝鮮総連の本国寄りの姿勢が極端さを増せば、日本の世論の中で厳しい声が強まる懸念もある。

それにもかかわらず、本来は自分たちとの関係の薄い集団脱北について韓国への非難を強めるのは、この事件を体制維持にとって重要な問題とみなす北朝鮮本国、あるいは金正恩党委員長から直接の指示を受けたからではないのか。

とくに月曜日の抗議行動は、警察に無届けで行われたようだ。現場が混乱すれば、逮捕者が出る可能性もあった。集団脱北が「拉致」であろうがなかろうが、朝鮮総連がそれだけのリスクを冒してまで駐日韓国大使館に抗議を行うことに、何らかの効果や意義があるとは考えられない。

もしかしたら今回の抗議行動は、朝鮮総連の金正恩氏に対する忠誠心をはかるため、本国が指示して行わせたのではないか。そして、本国での立場が弱まりつつあった朝鮮総連の指導部が、これに飛びついたのではないか。

故金正日総書記は、朝鮮総連に対して「本国批判」を行うよう指示したことがあった。朝鮮総連に対する日本社会からの信頼を回復させ、日朝間のパイプ役としての役割を高めさせようと狙ってのことだった。

そんなことをしたのも、金正日時代にはまだ、北朝鮮と日本の間に、対話によって関係を改善する余地が残っていたからだろう。しかしその後、日本政府が国連で北朝鮮の凄惨な人権侵害の実態を告発するに及び、そのような余地はほとんど無くなっている。

果たして、対話をあきらめた金正恩氏は今後、朝鮮総連にどのような役割を担わせようとしているのだろうか。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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