非武装地帯での地雷爆発に端を発した朝鮮半島の軍事危機で韓国との「チキンレース」に敗れ、著しく権威を失墜させた金正恩氏。

しかし実のところ、北朝鮮の人々は以前から彼のことを軽く見てきたきらいがある。

今回の危機の中でも、その一端が垣間見えた部分があった。金正恩氏が「準戦時状態」を宣言して、戦争の雰囲気を高めるプロパガンダを繰り返してきたにもかかわらず、韓国との前線に近い地域を除けば北朝鮮国内は平穏そのものだったのだ。

私自身は決して、今回の騒動について「大したことなかった」とは考えていない。事態は韓国にとっても北朝鮮にとってもアンコントローラブル(制御不能)な展開を見せていた。引っ込みがつかなくなった両者が、勢い余って武力衝突に出てしまう可能性は決して低くなかったのだ。

乱交パーティー、請負殺人、覆面強盗などを摘発するキャンペーン

だが、仮に事態の本質がそういうものだったとしても、北朝鮮の人々は、どうしても金正恩氏のやることを真に受ける気になれなかったのではないか。

すでに実質的には新興富裕層を中心とする市場経済の中に身を置き、ビジネスを通じて合理的思考を養いつつある北朝鮮の人々が、正恩氏のあまりに非合理な国家指導から顔をそむけるのは、むしろ当然のことだろう。

問題はこうした現状が、金正恩氏にとっては「仕方ない」では済まされないことだ。幹部らを相次いで粛清し、恐怖政治で国内を引き締めている正恩氏は、庶民に対しても情け容赦ない素顔を見せている。

先日、正恩氏はスッポン養殖工場の視察中に激怒し、後に同工場の支配人が銃殺されていたことが明らかになった。視察時の様子は動画で公開されており、こわばった表情で直立不動の姿勢を取る職員たちや、泣き顔のような表情をする老幹部が写っている。

そんなものを見せられているのだから、人々が正恩氏に対して震えあがっていても良さそうなものだが、それでも彼の権威は確立していないのである。

正恩氏は今後、あの手この手で国民の引き締めを図るだろう。当面は、10月10日の朝鮮労働党創建70周年に向けて行われている「犯罪との100日戦闘」に注力する可能性が高い。 このキャンペーンでは、請負殺人や乱交パーティー、覆面強盗などが摘発されているというが、当局の裁量により、ごくささやかな過ちで断罪される人が出ないとも限らないだろう。

正恩氏が本物の「権威」を望むならば、国の改革開放と人権状況の改善以外にその道はないのだが、彼がそれを理解する日は、果たして訪れるのだろうか。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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