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1970年代後半から1980年代初頭にかけて、北朝鮮では低出産奨励運動が広まり、女性の避妊が積極的に奨励された。1つの家庭で2人以上産むなという宣伝が続いた。だが1980年代末から、突然出産奨励運動が推進された。生産と建設をはじめとするあらゆる分野が「工場制手工業」的なやり方で運営されている北朝鮮の実情から、労働力の減少が大きな社会問題になっていたからだった。

しかし、北朝鮮政府がいくら出産奨励の宣伝を強化しても、保育環境が整わず、子どもの養育の負担が大きくなり、出生率は下がる一方だった。これは教育現場でも深刻な問題として取り上げられた。

低出産の要因は子育ての環境と教育の負担

一般的に北朝鮮の父母は、子どもの責任を負わなければならない時期は満17歳までだと考えている。北朝鮮では中学校を卒業する満17歳に成人すると規定しているが、それはこの年齢になったら軍服務義務と選挙権を付与するためだ。

1980年代初めまで北朝鮮は、各地域にあふれる児童を就学させるために学校の建設を続けた。それ以前の中学校は男女別学だった。

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1970年代末から1980年代初頭にかけて、普通クラスの児童の数は50人前後で、クラスの数も多かった。それでも教室が不足して、学校ごとに午前中に勉強する児童と午後に勉強する児童に分けて、「午前班」と「午後班」を設けた。「午前班」は朝7時から12時まで勉強して、「午後班」は午後1時から6時まで授業があった。

だが、こうした教育現場の状態も、1984年頃から緩和されるようになる。まず、政府が学校をたくさん建設して、教育環境も改善した。さらに、都市を中心に児童の数が急減した。

北朝鮮の出生率が急減したのは、当時周りの社会主義国家で人口制限政策がとられ、韓国で低出産政策がとられていたこととも関連していたと思われる。

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なによりも、産児制限をして国民所得を上げようという韓国の低出産政策が、体制の競争意識にとらわれていた北朝鮮の権力層も変えた。また当時、旧ソ連の人たちの間で広がっていた「自分たちの世代だけよい暮らしができればよい」という考え方が、北朝鮮の知識層の間でも広まって、中国の厳しい人口制限政策も少なからぬ影響を与えた。

だが、こうした要因の中でも一番本質的な要因となったのは、北朝鮮の情けない保育政策と教育政策だった。

代表的な例として、1980年代半ば以降、幼稚園や託児所、学校が児童たちに暖房費や施設の維持費を負担させ、それは全て父母の責任に転嫁された。

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1989年に政府は、男子中学と女子中学を統合して男女共学中学校に改編したが、この時かなり多くの中学校が閉校になり、1クラスの生徒数も30~40人に減った。これは、北朝鮮でいかに早く児童の数が減少したのかということが現れた象徴的な措置だった。

出生率の減少で真っ先に打撃を受けたのは軍隊だった。1990年代まで北朝鮮では、兵役制度が実施されていなかった。だが軍に服務した経歴が、社会で人材を登用する際に最初に確認されるため、事実上、義務兵役制も同様だった。

1970年代まで北朝鮮では、兵役期間は7年で、特殊兵は10年だった。だが、1980年代前半以降、期間が10年に延長され、1989年頃からは13年まで延長する非常措置が取られた。

高校生の多くが、卒業した後軍隊に行かなければならず、軍の服務期間が延長されたため社会的な労働力不足が深刻になり、人材が枯渇して大学や科学技術部門もかなりの打撃を受けた。

遂に北朝鮮は、2002年以降、「義務兵役制」に切り替える代わりに、軍の服務期間を10年に縮める措置を取った。

人口減少の問題のため、北朝鮮政府は今も出産奨励運動を推進しているが、あまりにも生活が大変なので、最近では1つの家族に子どもが1人しかいないことが多い。

韓国でも、出産問題が大きな社会問題として提起されているが、保育環境と教育環境が悪化したため、北朝鮮の出産問題はより深刻であると思われる。

「苦難の行軍」の時期に大量閉校

北朝鮮の一番深刻な悩みは、「苦難の行軍」の影響を受けた空白の世代をどのように補うかという問題である。1994年の秋に始まった「苦難の行軍」は、1998年夏まで続いたが、その間食糧難のため沢山の人が餓死して、出産の空白状態が続いた。

出産の空白状態は、現在まで北朝鮮の教育界にも大きな影響を及ぼしている。咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋は「最近、高等中学校の1年生から3年生の教室には、空いている部屋が多い」「特に農村の学校の場合、1学年に3~4人しかいないこともある」と伝えてきた。中学校では学年別、学科別に担当の教員が指定されているため、ほんの数人の生徒のために10人以上の教師が活動することになる。

実際に北朝鮮では「苦難の行軍」以後、教育の質を高めるために、中学校で「心理学」や「倫理学」、「日米帝国主義侵略史」のような科目を増やして、教員の数も増やした。教員の数は増え続けるが、相対的に生徒の数が減り続けているのが北朝鮮の現実だ。

児童の数が減少したため、政府は2002年以後、分校の多くを閉鎖したという。北朝鮮では、学校から遠く離れた農村の小さな村の児童のために分校が建てられたが、児童の数が減少したため、分校を撤収せざるを得なかった。

いまだに家父長的な家庭形態から脱することができていない北朝鮮社会では、女性の多くが市場に座って家庭の生計を立てるという、重い負担を負っている。こうした社会的環境のため、「苦難の行軍」の後、結婚しないで独立して暮らす女性が少しずつ増えている。独立した女性が増える社会的環境も、北朝鮮で出生率が減少しているもう一つ原因になっている。

問題は2012年以後である。北朝鮮政府は2012年を、「社会主義強盛大国を完成させる年」にすると騒ぎ立てている。北朝鮮が2012年に死活をかけている理由には、2012年に社会に登場する世代が「苦難の行軍」世代にあたるため、労働力の空白が懸念されているということもある。

「苦難の行軍」が始まった1995年以降に生まれた世代が、2012年に高等中学校を卒業して社会に進出する。そのため北朝鮮は、軍の兵力をはじめとし、社会全般で深刻な労働力不足に直面すると思われる。

対北消息筋によると、北朝鮮政府も「苦難の行軍」の空白の世代のため、科学や経済の分野で損失が出ることを懸念している。2012年以降少なくとも10年以上、北朝鮮社会に甚大な影響が及ぶと分析しているという。

こうした空白を埋めるためには、経済を回復させて自動化されたシステムで生産性を高めなければならないが、崩壊の泥沼でじたばたしている北朝鮮経済には、一向に回復の兆しが見えない。「苦難の行軍」からおよそ15年経ったが、食糧問題一つまともに解決することができない有様だ。

そのため、「社会主義強盛大国」を建設すると言っている2012年が、「苦難の行軍」世代も起爆剤となり、北朝鮮崩壊の起点になる可能性もなくはない。

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