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北朝鮮国民なら誰でも、当局による二重、三重の収奪を受ける。子どもも例外ではない。

北朝鮮で、学校に通う児童、生徒の労働力の収奪が始まったのは、1970年代の「良いことをする運動」がきっかけだ。金正日氏の後継者としての足場を固めるために、金日成氏にあらゆる忠誠を示していた時期だ。

金正日氏は1970年代半ばから、北朝鮮の各市郡に「5号管理所」という労働党の資金担当機関を作り、住民に外貨稼ぎのノルマを課した。

「ウサギ育て」がエスカレート

金正日氏が始めたのは、小学校と中学校の児童、生徒に、ウサギを育てさせることだった。学校でのウサギ育て運動を奨励し、「国と人民のために良いことをする運動」と命名した。

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当時、北朝鮮は世帯ごとに、犬の皮を1年に1枚ずつ義務的に差し出させ、一方で村の周辺の農地にヨクサム(麻のような植物で幹の革を糸として使い、種は植物油の原料として使う)を植えさせた。

(参考記事:「犬の皮を上納しろ」無茶な命令に苦しむ北朝鮮国民

また学校ごとに、「ウサギの飼育場」を建てて、ウサギを飼わせた。その他、学校で育てるウサギとは別に、小学校の生徒はウサギの皮を1年に1枚ずつ、中学校の生徒は2枚ずつ差し出すことを義務づけた。

1970年代半ばに始まった、北朝鮮の「外貨稼ぎ運動」はすごかった。

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地方ごとに設けられた「5号管理所」では、外貨稼ぎの品目以外に、「ササゲ」という豆1キロ当たりナイロンの靴下1足、乾燥ワラビ1キロにつきキャンディ500グラムというふうに、外貨稼ぎ用の品物を交換していた。また、地方ごとに東欧の社会主義国家に輸出するための玉ねぎ農場、朝鮮人参農場が新設された。

生徒にやらせた「ウサギ育て運動」は、金正日氏の懐に多額の収入をもたらした。当時、北朝鮮は「青少年が<良いことをする運動>で1千万枚以上の<ウサギの皮>を国に捧げた」と宣伝したが、その規模はすごかった。北朝鮮の当局は特に、ウサギの皮をたくさん持ってきた生徒には「少年栄誉賞」を与えるなど表彰し、生徒たちを「良いことをする運動」に積極的に誘導した。

生徒動員事業に味をしめた金正日氏、段階的に拡大

1976年から金正日氏は、「油木林」の造成事業を推進して、生徒たちに管理させた。学校ごとに一定の山地を分配して、「少年団林」と「社労青林」を造成して、そこに朝鮮松やくるみ、オニグルミの実、栗の木など油の原料になる木を植えさせた。

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北朝鮮は児童、生徒を全員、満7歳から義務的に「少年団」に加入させて、満14歳から「金日成氏社会主義青年同盟」(旧社労青)に加入させて組織生活を送らせた。

さらに、1980年代初めから生徒一人一人に毎年、クズ鉄や銅、アルミ、瓶などを集めるノルマを与えて、収買証(リサイクル用品回収証書)を提出させた。

現在、北朝鮮は金属の生産を高めるという口実で、韓国の小中高生に該当する全ての生徒に、クズ鉄を1人当たり1年に14キロずつ持ってくるように強制している。

北朝鮮の生徒はまさに、お金を1文も費やすことなくぼろもうけすることができる、「貴重な国の宝(?)」であるわけだ。

背骨が曲がった子どもたち、社会の労働にも悩まされる

1986年に朝鮮芸術映画撮影所が製作した北朝鮮映画「わが作業班長」で、主人公スンヨンは「とうもろこしの栄養の元は学生だ」というセリフを口にする。毎年繰り返される生徒たちの苦役を表した言葉だ。

1980年代にいわゆる「金正日時代」が到来し、生徒たちはあらゆる社会的労働の動員の対象に転落した。

生徒たちは冬になると、各地域にスケート場を作るために、川から水を汲んできて運搬しなければならず、鉄道の支援、水泳場の建設、「私の村、私の学校づくり」など作業がない日はなかった。

特に中学校3年生から毎年動員されることになっている「農村支援」は、それこそ典型的な労働力の搾取である。毎年冬になると、とうもろこし団地や田植え戦闘に10日ずつ動員され、冬は1ヶ月間ジャガイモほりや秋の収穫に動員される。

生徒たちは農村の家の部屋に5、6人ずつ集団で寝泊りして、かけ布団もろくにないのに、明け方から夕方遅くまで秋の収穫をしなくてはならない。

金正日氏が生徒たちを労力動員に追いやると、地方の幹部も労働力が必要な時は随時、生徒を動員することが慣例になった。

市や郡で、レールの補修作業や道路の補修などの仕事が提起されると、工場の企業所といっしょに例によって各学校に工事区間が割り当てられて、生徒が総動員されて、任された課題を遂行しなくてはならない。日曜日(北朝鮮では休みは日曜日だけ)は生徒全員が、労力動員に参加する日と認識されている。

学校を運営するためにやらなければならない負担以外に、社会動員が頻繁に行われるようになり、生徒たちはだんだん教育現場から遠ざかってしまい、学校を運営する人たちも生徒を学業の成就よりも学校の維持自体に専念させるようになった。

だが、1990年代の「苦難の行軍」以降、教育現場もかなり変わった。弁当を持ってくることができない生徒が増え、社会動員に生徒たちを送ることが難しくなり、生徒の数が急減して、自主退学する生徒が増え、学校の運営に大きな狂いが出てしまったのだ。

学校の出席率は6割

北朝鮮の内部情報筋によると、最近咸鏡北道(ハムギョンブクト)会寧(フェリョン)の党教育部が生徒の平均の登校率を集計したところ、62%ほどだったという。学校に登校しても個別の科目に欠席する生徒を計算すると、実際の出席率は半分ほどに落ち込む。

生徒の欠席は、特に土曜日にひどくなる。土曜日は生活総和や各種の課題に対する週間総和事業があるからだ。

北朝鮮の当局は最近、「150日戦闘」と関連して生徒たちの忠誠心教育に力を入れている。だが、生活は以前と180度変わった。

1980年代には、北朝鮮の生徒は朝早く起きて、金日成氏の銅像や油絵の周辺にやって来て、「精誠事業(掃除)」をした。それが一日の日課の始まりと思われてきた。

だが190年代に入り、金日成氏の銅像の周りを掃除する生徒は目で見てすぐに分かるほど減り、苦難の行軍の後はむしろ、そのような場所に行く生徒を「おべっか使い」と非難して、仲間はずれにする風潮もあった。

両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)の場合、7月8日の金日成氏の命日の前に、「普天堡(ボチョンボ)戦闘記念塔」にある金日成氏の銅像の清掃に生徒たちが動員された。

学校ごとに、掃除作業に動員された生徒の人数の把握も行ったが、8日当日に一部の生徒が参加しただけで、翌日から生徒たちは影も見せなくなったというのが内部情報筋の話である。

(次の記事:【崩壊した北朝鮮の教育(4)】北朝鮮を変える「苦難の行軍世代」

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