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1952年に発足した内閣調査室(内調)は、郵政省の技官らを集めた電波傍受部門を運用し、朝鮮戦争の推移を見守っていたのだが、冷戦が激化するにつれて新たな電波傍受組織の必要に迫られた。混沌とする北東アジアの情報収集を日本に分担させたい米軍から、強い要請を受けたためだ。

そして1958年、戦時中にソ連や中国の電波傍受を行っていた旧軍の「特殊情報部隊」出身者らによる陸自の部隊を母体に、新組織を作る。これが、情報本部の原形とも言える陸幕第2部別室、通称「二別」である。組織は形式的に陸自に置かれたが、別室長には警察官僚が就き、指揮権は内調が握った。これは、1978年に二別から「調別」(陸幕調査部第2課別室)に看板を掛け替えた後も変わっていない。

防衛庁が「省」に昇格する以前、同庁および自衛隊は警察官僚の“管理下”にあり、加えて、インテリジェンスも警察官僚の領域とされていた。このため二別(調別)のトップも必然的に警察官僚のポストとなり、今も電波部長には警察官僚(本部長経験者)が就いているという。

米国を無視できない

「調別が情報本部となり、本部長以下の主要幹部を自衛官と防衛事務官が占めるようになってからも、情報力の源である電波部長は、警察官僚の指定席のまま。これは、制服組による情報の独占を警戒した後藤田正晴元官房長官(警察庁出身)が、情報本部を発足させる際に防衛庁(当時)に飲ませた条件だ。 調別時代、警察官僚の別室長は、電波傍受の成果を防衛庁に報告する前に警察庁に報告し、警察庁はこれを“独自情報”として官邸に上げていた」(同)