48 北朝鮮は初めて国際援助を要請した1995年よりもかなり前から、国内の食料事情悪化を認識していた。国家が管理する食料の生産及び配給では、1980年代末から、既に十分な食料を国民に提供することができなくなっていた。透明性、説明責任及び民主主義的な制度の欠落、並びに表現、情報及び結社の自由に対する欠如が、党の命令に従わずに、最適な経済的解決策を採用することを妨げた。国家は国民に対する支配力を失う恐れから、経済及び農業の構造的な改革を避けてきた。
49 飢饉の間も、飢餓と窮乏の深刻な悪化という代償を払いながら、政治体制維持のために思想的な教化が行われた。情報の隠匿のため、国民は崩壊しゆく公共配給制度の代替策を見つけられなかった。情報の隠匿はまた、国際援助の遅れを招いた。情報が早く提供されていれば、多くの命が救われたはずである。国家は,国民に十分な食料を提供する能力がなかったにもかかわらず、国民による主要な対処メカニズムの利用、特に食料を探すための国内外の移動及び非公式の市場における取引や労働を犯罪とみなし、法律と効果的な支配を維持した。
50 最悪の大量飢餓の最中でさえ、北朝鮮は人道的配慮を欠いた条件を課し、食料援助の配給を妨げた。国際人道機関に人道的原則に矛盾する制約を課し,援助団体が人道上の必要性を適切に評価し、援助の配分を監視することを妨害した。北朝鮮は、ホームレスの子供たちを含む最も影響の大きい地域及びグループへの人道的アクセスを拒否した。
51 北朝鮮は、飢えた人々に食料を与えるために、入手可能な資源を最大限活用する義務を一貫して怠った。軍事支出、主に機械設備並びに兵器システム及び核プログラムの開発に係る支出が、大量飢餓の期間でさえ、常に優先された。それにもかかわらず、国家は未だ、過剰に大規模な軍隊の一般軍人を養うことができていない。最高指導者が直接管理するパラレルファンドを含む国家資金の大部分は、飢餓状態にある一般国民に食料を提供するのではなく、贅沢品や彼の個人的な趣味のために使われている。