呉源哲はこれを受け、韓国科学技術研究所(KIST)や国防科学研究所など7つの研究機関を動員し、核兵器開発のための極秘プロジェクトをスタートさせた。
各研究機関はまず、国内でウラニウム調達が可能か、プルトニウム再処理施設を備えることができるかなどを検討し、基礎資料を作成した。呉源哲がそれらの課題を複数の研究機関に分散して任せたのは、アメリカの監視をすり抜けるための苦肉の策だった。
グレッグの証言によれば、アメリカは韓国が極秘プロジェクトをスタートさせた直後にその動きをつかんだとのことだったが、韓国側もそのことを察知していたようだ。呉源哲は次のように語っている。
「アメリカは1975年、われわれが核燃料再処理施設を確保するためにフランスと交渉を行っているという事実を知って以降、国内に搬入される国防関連機器や資材をいちいち点検した。 だが、分散研究による保安対策により、核兵器開発の確かな物証を探し出すことには失敗した」
大統領も見た「イエローケーキ」
グレッグは前述したインタビューで、韓国がアメリカの求めを受けて核兵器開発を中止したのは、1977年頃だったとしている。
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