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「韓国は10年もの間、アメリカの要請を受けてベトナム戦争に参戦した。韓国はベトナム参戦を通じてアメリカから得た外貨でセマウル運動(地域開発運動)を行うなど、経済発展のためのシードマネーに活用したのだ。

しかしもうひとつ、ベトナムが崩れればドミノのように共産化が広がり、韓国が危険にさらされると見ていたことも、ベトナムに参戦した理由だった。ところで私が1973年に韓国へ赴任したその同じ年、米軍はベトナムから撤退した。朴正熙はそれを見ながら、アメリカとの同盟に対する信頼を失い始めた。これこそ彼が核開発に踏み出した理由だ」

果たして、核兵器開発を巡ってアメリカと韓国はどのような情報戦を繰り広げたのか。

韓国の『週刊朝鮮』は2010年1月、核兵器開発プロジェクトの責任者だったとされる呉源哲(オ・ウォンチョル)の証言をもとに、その実態についてレポートしている。

1928年生まれで、ソウル大学工学部を卒業後、空軍技術将校を経て政府の要職に就くようになった呉源哲は、当時は青瓦台(大統領府)の経済第2首席として、防衛産業全般の政策指導を担当していた。

監視をすり抜け

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レポートによると、朴正熙は1972年の初め、呉源哲を執務室に呼び、「平和を守るために核兵器が必要だ。技術を確保しなさい」と指示したという。