ソウルで生まれ、アメリカの市民権を取得して研究生活を送っていた李輝昭は1977年6月16日、イリノイ州内の高速道路で乗用車を運転中、前方の対向車線から中央分離帯を突破してきた大型トラックに正面衝突されて死亡した。
「実は、李輝昭は朴正熙の要請を容れて核兵器開発に関与し、それを察知したアメリカ政府によって暗殺されたのだ」
1990年代の中頃、韓国ではこんな話がまことしやかに語られていた。
タネを明かしてしまえば、これは事実ではない。李輝昭がいかに優れた学者だったとは言え、彼の研究テーマは核兵器開発に直接生かせる類のものではなかった。それに同僚の科学者の証言によれば、李輝昭は朴正熙の独裁体制を忌み嫌っていて、学術交流のための母国訪問すら渋りに渋ったとされている。
そもそも、「李輝昭謀殺説」は韓国のあるベストセラー小説に描かれたことがきっかけで流布するようになったのだが、少なくない人が、これを単なるフィクションとして片付けることをよしとしなかったのだ。そのことは、国営放送のKBSが2010年に、「李輝昭の真実」として検証番組を放映していることからもわかる。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面こうした現象は、現実に存在した韓国の核兵器開発プログラムの全容が、いまだに明かされていないことから生じたものと言えるだろう。
「作戦」の主人公
さらにもうひとつ、朴正熙の核兵器開発を巡り、米韓が水面下で激しい諜報戦をたたかわせた事実が、様々な謀略説のバックボーンになっているとも考えられる。