人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

1972年、26歳のときにCIAに採用されたローレスは、カリフォルニア州モントレーにある国防総省外国語学校で韓国語を専攻。当初は外交使節団に加わるなどしてアメリカと韓国を行き来しながら諜報活動を行い、1981年からは駐韓アメリカ大使館に勤務した。このときの肩書きは外交官だったが、本業は言うまでもなく〝スパイ〟である。

韓国に駐在するCIA要員の第一の任務は、何と言っても北朝鮮の動向を探ることだが、それがすべてというわけではない。ローレスが韓国で担ったのは、同盟国の秘密を暴きだすことだった。

韓国は日本と同様、アメリカと強力な軍事同盟を構成している。だが、日本が親米一辺倒であるのと異なり、韓国の歴代政権の中にはアメリカとの間で相当な緊張を抱えたものもあった。

その最たる例が朴正煕政権(1963年~1979年)である。

危険な「大統領公約」

1977年に合衆国大統領に就任し、人権外交を標榜していたジミー・カーターは、民主派に残忍な弾圧を加えた韓国の軍事独裁政権をきわめて不快に思っていて、訪韓の条件として政治犯の釈放を約束させたり、朴正熙による政敵・金大中(後の大統領)への迫害を止めるよう圧力をかけたりしていた。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面