トルコ・アンタルヤでのG20に際して行われた安倍首相とプーチン大統領の日露首脳会談(15日)で、どうやら日本側ははかばかしい成果を得られなかったようだ。来年夏の参院選で、安保法制への反対世論からの巻き返しを警戒する安倍政権は、北方領土問題でどうにか「前進」の形を作り、外交成果をアピールしたかったところだろう。

こうなると、安倍政権は次なる手として、北朝鮮による日本人拉致問題での「前進」を欲しがる可能性が高い。

それを見越してか、北朝鮮は日本側との接触に向けて、交渉で有利なポジションを得るための伏線を引き始めている。

北朝鮮に、「朝鮮日本軍性奴隷・強制連行被害者問題対策委員会」という長い名前の団体がある。その名のとおりの仕事を担う当局の外郭組織なのだが、ここのスポークスマンが最近、久しぶりに発言を始めたのだ。

きっかけは、日韓首脳会談(今月2日)で「従軍慰安婦問題を早期に妥結する」と合意されたことだ。

これに対する北朝鮮側の言い分は、「おいおい、慰安婦問題の被害者はうちの国にもいるんだから、アンタたちだけで『妥結』したところで何かが終わるわけじゃないんだぜ」というものだ。

これは、基本的には正論である。従軍慰安婦問題において、安倍首相と朴槿恵大統領の「仲直り」は本質的には副次的な問題であり、北朝鮮や他の国にもいる当事者の人権問題がより重要なのだ。

こうした問題は他にもある。戦時中に広島や長崎で被爆し、北朝鮮に帰国した人々は、在外被爆者に対する日本政府の医療支援からも阻害されたままだ。

もちろん、仮に日本政府が動く気になったにせよ、東アジアでも最も人権侵害のひどい北朝鮮の体制にこうした被害者たちの救済を任せられるのか、という問題はある。

それでも、外交交渉の場で日本側がそれを言えば、補償などを行う意思を示すのと同義になる。現段階で、日本政府は絶対にそんなことはしないだろう。

つまり、日本側が拉致問題での交渉を呼びかけても、その現場では北朝鮮側が「ストックホルム合意」を逆手に取り、「歴史問題はどうするつもりなんだ」と言い募ることになる。

だったら、日本側は遅れている拉致問題の調査報告を強力に要求すべきだ――そういう意見もあるかも知れないが、北朝鮮側は「報告書はもう出来ているのに、日本側が受け取ってくれない」ということを様々なチャネルで言いふらしている。

つまり、安倍政権は拉致問題で動けば動くほど、手詰まり感が浮き彫りになるデッドロックにはまってしまうわけだ。

日本側にも、反撃の手立てはないわけではない。

たとえば東京新聞がスクープした、拉致実行において「抵抗したら殺せ」との内容を含む北朝鮮の内部文書だ。これはもちろん、日本政府も入手している。拉致問題を刑事事件として捜査・認定している日本の仕組みの中で使うには証拠として適切ではないかもしれないが、国連などに北朝鮮による人権侵害の資料として提出すれば、信ぴょう性が客観的に認定されることもあり得るだろう。

そうすれば、北朝鮮の拉致犯罪と対決する日本外交への国際的支援はより強力になる。

ただ、こうした資料も、ただ国連に提出すれば良いというものではない。それがどういった性格のもので、何を意味しているかを十分に説明する必要がある。

結局のところ、重要なのは対北情報戦の能力であるということだ。日本政府はもう二度と、海外にも名前の聞こえた凄腕スパイを飼殺しにするようなことをせず、インテリジェンス能力を磨くべきだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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