箱根での巨頭会談

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1973年9月21日、箱根の富士屋ホテル。その1室に、日韓政財界の超大物3人が顔を揃えた。

日本側からは時の首相・田中角栄と、その“刎頚の友”と言われた政商・小佐野賢治(国際興業グループ創業者)。そして大韓航空を擁する韓国の有力財閥・韓進(ハンジン)グループ総帥の趙重勲(チョ・ジュンフン)である。趙は、このところ話題の「ナッツ姫」の祖父に当たる人物だ。

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韓進グループ総帥の趙重勲氏(左)と田中角栄元首相

会談の目的はただひとつ、日韓関係を揺るがせた「金大中(キム・デジュン)事件」の幕引きである。

軍事政権の手を逃れて日本に滞在中だった民主化の指導者、金大中を韓国中央情報部(KCIA)が白昼に拉致。違法に国外に連れ出したこの事件は、「日本に対する重大な主権侵害」に当たるとして轟々たる非難を呼んだ。

しかし、日韓国交正常化(1965年)による巨額のジャパンマネーの韓国流入を受け、両国間に巨大な開発利権が渦巻いていた時代である。経済的利益を優先したい政財界の首脳らは“手打ち”を急ぎ、韓国側の「密使」として趙重勲に白羽の矢が立ったのである。

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それにしてもなぜ、趙重勲だったのか。それは彼が率いる財閥の“育ての親”が、小佐野賢治だったからに他ならない。

日本人から信頼

趙重勲は1920年2月、韓国・仁川(インチョン)に生まれた。18歳で海員養成所の機関課を卒業し、神戸の造船所での見習工を経て故郷でエンジンの修理工場の経営などに当たった。1945年に第2次大戦が終わり、朝鮮半島が日本から解放されると韓進商事を設立。トラック1台の運送会社で、社長自らハンドルを握った。