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◆ 市場での自由な取り引き、米価の下落をもたらす

2006年春、北朝鮮政府が市場の統制を緩めると、市場では再び食糧の取り引きが盛んになった。韓国が送った‘援助米’が袋ごと市場に陳列される珍しい風景(?)が見られた。

この時期、北朝鮮政府は食糧の取り引きの統制を中断し、規格化、制度化事業をはかって、統制が可能な範囲で市場を常設化する措置に切り替えた。当時、平壌の船橋(ソンギョ)区域の市場では、販売される品目によって商人にユニフォームまで着るよう指示し、食糧や食べ物を売る商人はエプロンと三角巾を身につけるほど変化が早かった。

当時の北朝鮮の食糧の価格は、2007年の上半期まで安定を維持した。2007年4月から、米の価格は1キロ7〜800北朝鮮ウォン台、とうもろこしの価格は1キロ3〜400北朝鮮ウォン台を維持した。「第1次食糧価格上昇」以前の水準に戻ったのだった。

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だが、食糧の価格が非常に安定したこの詩期に、北朝鮮をめぐる国際情勢は最悪の状況に陥った。ミサイル発射と核実験を選択した北朝鮮は国際社会から孤立し、韓国を含めた外部社会の援助が途絶えた。

2006年にも平安南道一帯が水害の被害を被り、核実験以後外部の援助が途絶えた状況だったが、市場の米の価格は2007年夏まで安定の動きを維持した。市場が開かれていたからだ。