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◆ 2005年の第1次米価上昇は市場の統制に起因

北朝鮮の過去の食糧価格の動向を分析したら、北朝鮮の食糧の価格の上昇と北朝鮮国内の食糧枯渇との直接の関連性はわずかであることが確認できる。2005年12月の‘第1次食糧価格上昇’から、2008年5月の第2次食糧価格上昇まで、北朝鮮の食糧の価格は、北朝鮮の作況や外部社会の食糧の援助量と直接の関係がないということである。こうした現象を精密に分析してみよう。

2002年に「7.1経済管理改善措置」が実施された時、北朝鮮政府は当初1キロ0.08北朝鮮ウォンだった公式の米価よりもおよそ550倍も高い44ウォンで調整した。だが当時、農民市場では既に米1キロが100北朝鮮ウォン以上で取り引きされていたはずで、個人的に食糧を購買しなければならない北朝鮮の住民にとって、実質的な意味はあまりなかった。

7.1措置が始まった当時、1キロ100北朝鮮ウォン台前半を記録した米の価格は、当時から正確に3年6ヶ月後の2005年12月には1000北朝鮮ウォンを突破した。「第1次食糧価格上昇」が発生したのだった。だが、2005年は北朝鮮の食糧保有量が最高値を記録した時だった。韓国農村振興庁は、2005年の北朝鮮の食糧生産量は、1992年以後最大値の454万トンであると推定した。当時北朝鮮の朝鮮中央通信は、10年ぶりの大豊作と宣伝した。また、その年は韓国だけからも50万トンの米が援助された。

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だが、どうしてその年の12月に第1次上が起きたのだろうか。それは、北朝鮮初の’市場歪曲現象’のためだった。食糧不足で価格が高騰したのではなく、取り引きの統制によって価格が高騰したのだった。

北朝鮮政府は2005年10月10日の朝鮮労働党創立60周年を迎え、‘国家配給制の復帰’を宣布して、電撃的に市場の食糧の取り引きを禁止した。食糧難が解決される兆しが見えると、金正日政権は再び過去に戻ろうとしたのだ。だが、北朝鮮政府が広言した国家配給制は2ヶ月後に終了してしまった。

国家が約束した食糧の配給が途絶え、住民たちは安全員(警察)の取り締まりを避けて、個人の闇商売で食糧を求めなければならなくなった。ヤミ市場(black market)では、絶えず自由市場(open market)よりも高い値段で取り引きされる。2005年12月の咸鏡北道の米の価格が1キロ1000北朝鮮ウォンを越えた。

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当時、北朝鮮で1000北朝鮮ウォンがあれば市場で麺を4〜5杯買って食べることができた。2005年の夏まで、咸鏡北道の米の価格は1キロ600北朝鮮ウォン台、とうもろこしの価格は300北朝鮮ウォン台を維持していた。