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◆黄海南道(ファンヘナムド)で小中学校時代、農村支援に動員された脱北者パク・ドンフィ(仮名)さん

「田植えを適期に質良く」
「田植えを適期に質良く」

小学校3年生の時、授業が終わると20里(8キロ)離れた農場へ水撒き戦闘に出かけた。大きなバケツで何時間も水を運ぶと力がなくなり何度も転んだ。泥だらけになって家に帰り、寝ている時におねしょしても気づかないほど疲労困憊した。中学4年生からは『食糧停止証明書』の発給を受け、他の市、郡の農村動員に行った。40人ほどのクラスが4クラスあったのだが、全部で200人程度が一つの作業班に配置された。

農園の一間で寝泊まりしたのだが、農場員の夫婦とその子供、学生3人の計6人も一緒だった。トウモロコシご飯を1杯しか食べられなかった日は、明け方は足が凍てつき、午後からは腰が痛んだり貧血になり、立ったまま居眠りしたりした。体力的に辛いことより空腹を我慢できず、風が吹く日には苦いアンズでも拾って食べようとアンズの木の周りをうろうろしたりした。

農村支援に動員された学生の中で、親が準備してくれた豆やトウモロコシなどのおやつを持ってくる者もいたが、ほとんどの学生はその余裕がなかった。女子学生は我慢できても、男子学生は空腹に耐えきれず、作業班の鶏を盗み、ワラで包み焼きにして食べたりしていた。

幸いにも農村支援期間と誕生日が重なり、先生がご飯1杯とゆでたまご1個で祝ってくれた。学生一人当たり、苗床を1日3箱植えるのがノルマだったが、誕生日には5箱を植え手がこむら返りを起こしたが、誕生日用の飯代を稼いだ。

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田植えは、学生が2人1組になって田植え機に苗の束を入れるのだが、ある男子学生は右手が機械に巻き込まれる事故に遭ってしまった。彼は農場管理委員会から補償としてテレビを1台を受け取ったが、右手を失い字が書けなくなったために、学校を辞めてしまった。右手が切断され字を書くことができなくなったためだ。農村動員を思い出すたびに彼のことが頭をよぎる。北朝鮮にいるころは、5月が消えてなくなればいいのにといつも思っていた。