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1921年に発行された「平壌商工人名録」を見ると、平壌の中心部にある衙廳里(アチョンリ)には家具製造販売、金貸業、紙物商、綢緞(ちゅうたん、絹の意)布木売買業、焼酎醸造業、精米業、穀物販売業など様々な商店や工場が集中していたことがわかる。

しかし、それらは朝鮮戦争中の米軍の爆撃で完全に焼き払われた。戦後の1954年、その焼け跡に造成されたのが中央広場、現在の金日成広場だ。周囲には朝鮮中央歴史博物館、朝鮮中央美術館が建てられ、同じ地域には、旧ソ連の援助で建てられたロシア式のマンションが建ち並んでいた。これらは2016年に解体され、跡地には高層マンションが建てられた。

朝鮮労働党第8回大会で示された「平壌市5万世帯住宅建設構想」と党中央委員会第8期第4回総会の決定に基づき、市内ではタワマン団地が続々と出現しているが、このような朝鮮戦争後に建てられたマンションの建て替えも進んでいる。だが、その入居を巡り、市民の間で不満が渦巻いている。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。

両江道(リャンガンド)の情報筋によると、市内中心部に住む人々の間では、タワマン団地よりも、再開発された市内中心部のマンションへの関心が高い。同じ平壌でも30号対象と呼ばれる市内中心部は、配給や電力の供給などで優遇されているからだ。410号対象と呼ばれる郊外への引っ越しは、一種の「都落ち」だ。

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金日成広場から北に1.5キロ離れた、牡丹峰(モランボン)区域の北塞(プクセ)通りには、帰国した元在日朝鮮人が多く住んでいる。そこにあった7階建てのマンションは、最近になって取り壊され、跡地ではタワマンの建設が進められている。

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牡丹峰の景観保護のために、周囲のマンションには高さ制限があったのだが、建替え中のマンションは20階建て以上だ。

情報筋の親戚はこの近所に住んでいたが、立ち退き対象となり、新しくできたタワマンに入居した。ところが、入居者のほとんどから不満の声が上がっているという。

「立ち退き対象の人々は1階、2階、あるいは15階以上の部屋をあてがわれた」(情報筋)

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低層階は盗難のリスクが高く、高層階はエレベーターを利用せざるを得ないため、あまり好まれていない。停電が頻発する平壌のタワマンでは、エレベーターに乗るのも一苦労だ。また、水の出も悪い。

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人々を怒らせたのはそれだけでない。最も良好とされる6階から10回の部屋は、平壌市の幹部やトンジュ(金主、ニューリッチ)が独占しているからだ。

平壌の情報筋によると、市内中心部には1950年代から60年代に建てられた5階から7階建てのマンションが多く、ところどころに平屋建ても存在する。それらを取り壊して建てられたタワマンには、立ち退き対象となった人々を押しのけて、幹部やトンジュが入居しようと熾烈な競争を繰り広げる。裏で黒いカネが飛び交っているのだ。

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当局は、立ち退き対象となった家に住んでいた人々や、親戚や他人の家に長年居候していた人々に住宅が与えられるかのように宣伝しているが、実際は待てど暮せど中々入居できない。

「数年前、普通江(ポトンガン)区域の新原洞(シノンドン)の柳京ホテルの周辺に複数棟のタワマンが建てられたが、完成まで4年以上かかった。他人の家に居候して神経をすり減らし疲弊した人々は、市内中心部から遠く離れた松新(ソンシン)や和盛(ファソン)に引っ越していった」(情報筋)

金日成広場から松新は南東に5キロ、和盛は北東に8キロ離れていて、バスしかなく交通の便がよくない。通常の北朝鮮の建設工事は、「速度戦」と呼ばれて猛スピードで進められるが、どういうわけか、再開発タワマンは完成までに非常に時間がかかる。

それに耐えきれず、入居対象者が一人、また一人と「都落ち」していく。そして、残ったのは幹部とトンジュだけということだ。何者かがあえて完成を遅らせていることも考えられる。

「皆が平等に暮らすという社会主義など、カラのスローガンに過ぎない」(情報筋)

それでも平壌の人々は、地方に比べると段違いに豊かな生活をしている。平壌で暮らす人々は、基本的に平壌の外に出ることはなく、自分たちがまだ優遇されている方であることに気づかないのだろう。