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1990年代後半の北朝鮮を襲った未曾有の食糧難「苦難の行軍」。数十万人とも言われる人が餓死し、家族を失った子どもたちは、各地をさまよいながら、物乞いや盗みを働きつつ生き抜いた。そんな彼らを「コチェビ」と呼ぶ。

その後の経済復興や当局の収容政策で、コチェビの数は大幅に減ったが、コロナ鎖国下での深刻な経済難で、その数が再び急増していると伝えられている。最近の特徴としては、子どもよりも老人のコチェビが目に見えて増えたことだ。

(参考記事:ますます深刻化する北朝鮮の食糧難で「コチェビ」が急増

デイリーNKの内部情報筋によると、咸鏡北道(ハムギョンブクト)清津(チョンジン)や吉州(キルチュ)、咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムン)、両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)など、主要都市から小都市に至るまで、鉄道駅や市場の周辺では、物乞いをするコチェビの数が目に見えて増えた。

元々、冬になると駅周辺に集まる傾向にあったが、例年に比べると集まる時期が早くなり、数も増えた。その上に、今年は特に老人が多く、人々は「老人コチェビ」と呼んでいる。

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元気のある子どものコチェビと異なり、老人コチェビは常務(取り締まり班)がやってきても、走って逃げる体力すらない。足取りがおぼつかない老人コチェビを見た常務は、取り締まることもできず、かわいそうにと見つめるばかりだという。

1990年代後半の苦難の行軍に子どものコチェビが多かったのは、まず当時の出生率が高かったことが背景にある。そして両親が餓死したり、仕事や食べ物を求めて子どもを残したまま、別の地方や中国に行ってしまったりしたことが多かったのだ。

ところが今は、正確な数値はわからないものの、少子化が深刻なレベルにあるとされ、子どもの数がそもそも少ない。2020年1月から続くコロナ鎖国で、貿易もストップさせられ、市場で主に中国製品を販売して生計を成り立たせていた北朝鮮の人々の多くが生活苦に直面。働けない老人は自ら家を出て、コチェビになるのだという。

(参考記事:【北朝鮮国民インタビュー】コロナ苦境で口減らし、家を出る老人たち

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当局は、年老いた親の世話をしない者を調べだして処罰したり、本人を施設に収容したりしている。しかし絶糧世帯(食べ物が底をついた世帯)が続出する中、当局は貧困世帯を助けるため、各家庭に対して少しずつ穀物を供出するように呼びかけているが、庶民にはそれに応じる余裕すらないのが実情だ。

家から追い出されまいと、細々とした商売をして、小銭を稼ぐ老人も少なくない。

かつては国の手厚い保護の下、贅沢ではなくとも安定した老後の暮らしを送れていた北朝鮮の老人だが、苦難の行軍に際して破壊された福祉システムはいまもって回復に至っておらず、脆弱な階層ほどその割を食うのだ。

(参考記事:ビールの「転売ヤー」となってコロナ禍を生き抜く北朝鮮の貧困老人