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ユ氏は、朝鮮戦争の初期に強制的に義勇軍として駆り出され、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)として戦争の渦に巻き込まれた。その後、韓国軍に捕まり巨済島の捕虜収容所に収監された。 2年間の服役後に釈放されたが、人民軍だったという過去を武功で補うべく、韓韓国軍に入隊した。しかし、中国の人民解放軍の捕虜になったことで悲劇的な運命を迎えることになる。

その後、北朝鮮の平安南道の平安軍捕虜収容所に連行され、炭鉱での労働生活が始まる。「我々は囚人ではない捕虜なので、いつかは送り返してくれるだろう。まさか10年もいるはずはないだろう。指揮官も私たちを覚えているだろう」と、仲間同士で励まし合っていた。

しかし、ユ氏は北朝鮮当局が発行した公民証を受けとった瞬間、帰還への希望を捨てた。北朝鮮は「韓国軍捕虜を北朝鮮人民として受け入れる。頑張って働けば党員になれるだろう」と、韓国軍捕虜たちを懐柔した。

捕虜生活の中で知った母と弟らの消息も、北朝鮮での定住を受け入れるしかない理由になった。韓国にいると思っていた母と弟が、黄海道(ファンヘド)に避難していたからだ。

彼は母と弟まで扶養しなければならず、韓国軍捕虜というハンディを克服するために、必死に働いた。北朝鮮で弟の出世の道を「韓国軍捕虜」である自分が邪魔してはならないと思ったからだ。

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ユ氏だけでなく、他の韓国軍捕虜も一生涯を炭鉱で苛酷な労働に苦しめられた。