「農場は私の農場」(1987年)もその一つだ。このスローガンは本来、「協同農場も自分の農場のように大事に育てなさい」という意味だ。しかし、厳しい食料難のせいで住民は農作物を盗む時にこう言う。「私の農場だから、これは窃盗じゃないだろう」と。
「苦難の千里が過ぎれば、幸福の万里が来る」(1990年代末)は、「苦難の行軍」と呼ばれた飢餓時代に、住民の動揺を抑えて内部の結束を固めるためのスローガンだった。しかし、今では「苦難の千里が過ぎれば、その後には苦難の万里が待っている」と揶揄して、経済難への不満を表す。
「党に気兼ねせず」
「金日成同志と金正日同志は万民の偉大な太陽」については、「太陽とは言い得て妙だ。近づけば焼け死ぬし、遠ざかれば凍え死ぬ」と言われている。