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孤児院の一日は午前4時に始まる。起きたらすぐに畑に出て下肥を撒いたり、草取りをしたり2時間仕事をして、午前6時になれば村を駆け足で回り「強!盛!大!国!」と叫んで村の人々を起こす仕事をさせられた。その後、史跡地の掃除をしてから孤児院に戻り、朝食後は学校に行く者もいれば、畑仕事に戻る者もいた。

教科書は孤児院全体で1冊しかもらえなかった。4時間目を終えると昼食の時間だが、孤児院の子どもはそのまま孤児院に戻り、山に登って日課の薪集めをした。弟は幼くて仕事ができなかったが、薪を持って帰らなければ夕食抜きになるので、弟の分まで薪を集めた。

夕食後は生活総和(総括)の時間だった。自己批判に加え、相互批判もさせられたが、適当にやり過ごすために友達と口裏を合わせていた。批判の対象になると、体罰を受けた。総和の後の1時間は娯楽会(お楽しみ会)の時間だったが、批判されて泣いていた子も歌って踊って笑うことを強いられた。部屋に戻って点呼を受けて午後10時に就寝。そんな生活が10年続いた。

だが、本当に辛かったのはそんな暮らしではない。