北朝鮮の水害以後、両江道(リャンガンド)の鉄道が頻繁に遅延しているという。これは水害によって、咸鏡道や平安道一帯の鉄道の運行に支障が出ているものと思われる。

両江道では年に数回、鉄道が遅延するという事態が起きていたが、それは金日成、正日父子の「特閣(金ファミリーのために建設された保養施設)」訪問のためだった。

金父子は両江道の三池淵(サムジヨン)一帯に特閣を建設し、毎年7月、8月に避暑のために訪れた。三池淵にあった金日成の特閣は、金日成の死後5年経った1999年に爆破してしまった。金正日氏の特閣は相変らず三池淵にあるが、正確な位置は知られていなかった。

北朝鮮は金正日氏の地方巡察(1号行事)があれば、数日前から鉄道の綿密な点検を実施する。金正日氏が移動する前日と当日には、他の全ての列車の運行を全面ストップさせるので、運行中の列車でも数日間停止して待たなければならない。

周辺地域の道路も同じで、10時間前から統制される。該当地域の住民の移動が禁止されて、周辺地域の市場も一部閉鎖させられる。

金正日氏はこうした統制にも満足せず、両江道の恵山市に自分の専用列車だけが停まる「金正日専用駅」を建設した。この駅には一般の列車は停車できない。

金正日氏だけ利用することができる1号道路は全国にあるが、1号駅は現在まで、これが唯一だ。金正日氏は専用列車でこの駅に到着して、車で乗り換えて三池淵にある特閣に向かう。

金正日氏、専用駅を3回移動

金正日専用駅は両江道恵山市のコムサン洞とポチョン郡のイファ里の間にある。この地域は有事の時にも飛行機が爆撃することができないほど、狭い谷間に位置している。両江道の住民たちは、ワンドクにあるわけではないが、この駅のことを通常ワンドク駅と呼んでいる。

金正日専用駅は最初、1985年に今の駅から2キロ離れたワンドクに建設された。この駅は規模や建設資材に至るまで、都心にある恵山青年駅よりもすぐれていた。規模も雄大で、内部の施設も高級だった。

しかし、建設後数年が経って決定的な問題点が指摘された。中国側からこの駅が丸見えで、有事の際には爆撃されかねないと金正日氏が不満を述べた。北朝鮮政府は1989年に、速やかにこの駅を爆破し、新しい駅舎の工事に取り掛かった。一方で、近隣にある一般住民の使う駅はボロボロなのに放ったらかしにされた。

北朝鮮は1989年から2代目の恵山1号駅の建設を行い、1991年に完成させた。位置は現在(3代目)の1号駅から北に2キロ程度離れている。この駅は、現在の駅よりはるかに大きくとても目立った

そのような理由で金正日氏はこの駅にOKを出さなかった。駅から中国の山が一部見えるという理由もあった。この駅は壊されずに「三池淵精密機械工場(95号軍需工場)」として使われている。

北朝鮮政府は直ちに3代目の金正日専用駅の建設を始めた。1991年から1年かけて労働力を総動員して、現在の場所にもっと大きな1号駅を建設した。

谷間を埋めて、数百メートルの橋を建設する工事の過程で、恵山市とポチョン郡、ウンフン郡の現場で、作業員が大規模に動員されて、工事に投入された。週末には恵山市の住民まで動員して、土と砂利を運ばせた。

恵山市のコムサン里とポチョン郡のイファ里の住民たちは、農作業の季節にも呼び出されて、工事現場に動員された。

恵山の金正日専用駅が使われるのは年に1回程度。金正日氏は毎年、避暑の季節になると専用列車でこの駅にやって来て、車に乗り換えて「白頭山観光道路」という名の金正日氏専用道路を通って三池淵特閣に向かう。

ここを守るために護衛司令部所属の2個分隊が、警戒勤務をしている。警戒部隊以外にも、管理人たちが20人程度いる。彼らは食糧難が激しかった1990年代半ばにも、配給が与えられたほど、特別な身分である。

金正日氏が訪問する時には、周辺の交通の統制だけでなく、住民たちが動員されて、大々的な環境美化作業をする。金正日氏は国家の資源を、自らの専用駅を建設して破壊するのについやして、訪問のたびに住民を酷使する。

金正日専用駅は建設から運営に至るまで、首領絶対主義の弊害を見せてくれる典型だと言っても、過言ではないだろう。

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