中国との国境に面した北朝鮮・両江道(リャンガンド)の金正淑(キムジョンスク)郡。元々は新坡(シンパ)郡だったが、1981年10月に、金日成主席の夫人で、金正恩党委員長の祖母にあたる金正淑氏の名前が付けられた。この地は、生前の金正淑氏が革命活動を行った場所とされる。
祖国光復会のアジトとして使われていた写真館、軍需物資を隠していた水車小屋、秘密連絡書だった商店、日本の警察署、憲兵隊の建物などが、新坡(シンパ)革命史跡地に指定されている。1974年10月には金正淑氏の銅像が建てられた。
新坡革命史跡地は、白頭山女将軍(金正淑氏)がチュチェ26(1937)年春、桃泉里(トチョンリ、鴨緑江の対岸で現在の中国吉林省長白朝鮮族自治県)を拠点に活動され、国内深くまで党組織と祖国光復会の組織を拡大するための闘争を精力的に行った意味深い場所だ。(労働新聞 2017年12月25日)
そんな「聖地」において、凄惨な暴力事件が発生した。北朝鮮にも暴力団組織のようなものがあり、乱闘騒ぎもときどき起きている。
(参考記事:【実録 北朝鮮ヤクザの世界(上)】28歳で頂点に立った伝説の男)ひとたび乱闘が起きると、死人が出るほど非常に激しいものになると聞いていたが、今年3月にはロシアの地方都市で北朝鮮労働者とタジキスタンの労働者が乱闘を繰り広げ、そのもようが動画に収められた。Vesti.ruが報じた動画には、石やシャベルのようなものを手に持ち、双方入り乱れて大暴れする様子が収められている。まるでヤクザ映画のようなド迫力である。
(参考記事:【動画】北朝鮮労働者とタジキスタン労働者、ロシアで大乱闘)人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面
しかし今回の事件を起こしたのは、この「聖地」を守っていた警備隊である。隊員らが民間人の青年に暴行し、被害者は死の淵をさまよっているという。
現地のデイリーNK内部情報筋によると、事件が起きたのは先月18日のことだ。村の中心に住む20代男性が、聖地の北200メートル付近を歩いていた。ちょうどそこには、聖地を守る警備隊が詰めている哨所(検問所)があった。哨所は、郡の保安署(警察署)直属の警備隊が警備を受け持っている。
おりからの猛暑で少しでも楽な近道を行こうと、男性は警備隊に革命史跡地への道を通してくれと要求したが、拒否された。すると、まだ昼間なのになぜ通さないのだと抗議した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面こういうときにはタバコや食べ物をワイロとして掴ませるものなのだが、青年はひたすら抗議するばかりだった。それに腹を立てたのだろう。1人の警備隊員が殴りかかった。青年がそれに反撃するや、集団暴行が始まった。
(参考記事:北朝鮮国内で「仁義なき戦い」…「軍vs突撃隊」流血の抗争)警備隊は青年を押し倒し、頭、首、胸に殴る蹴るの暴行を加えた。青年が意識を失ったのを見て慌てた警備隊員は、青年を車で病院に搬送した。しかし、26日の時点でも意識不明が続いている。
この革命史跡地と金正淑氏の銅像は、普段から武装した警備隊が24時間体制で歩哨に立つなど特別な管理が行われている。金日成氏や金正日氏にまつわる史跡地や、そこに建てられた銅像の損壊を防ぐために、周囲に検問所や監視塔を増設し、勤労団体などから人員を動員して警備隊、巡察隊を増員している。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面実際、2011年12月には、この革命史跡地で建物と森を焼く火事が起きている。地元の保衛部(秘密警察)は放火によるものと見て当日現場にいた人々を対象に捜査を行ったが、結局は警備隊員の不注意によるものという結論に達したという。それ以降、警備が24時間体制となったという。
韓国の脱北者団体は2016年、中国との国境から近い北朝鮮領土内の銅像、史跡地周辺でドローンの飛行を行っている。
(参考記事:北朝鮮メディア「脱北者がドローンで銅像を攻撃」と猛非難)また、北朝鮮国内でも銅像などを破壊しようとする動きが起きている。銅像が破壊されるとなれば、警備責任者はもちろんのこと、地方政府幹部全体の首が飛びかねない。その恐怖から警備を強化しているのだろう。
(参考記事:「金日成氏を称える塔」爆破未遂に戦々恐々の北朝鮮当局)しかし、警備が厳重すぎて通行に支障を来すほどになっているが、金王朝にかかわる問題であるだけに、「改善」を提起すれば政治犯扱いされかねないため、誰も何も言えずにいるのが現状だ。
今回の事件を受けて、地元の警察幹部は青くなっている。警備隊の責任者のみならず、その上役の保安署の署長までが病院を訪れて医療関係者に「なんとかしてくれ」と頼み込んでいるような状況だ。
金正恩氏は、保安員(警察官)、保衛員(秘密警察)に対して、職権を乱用して金儲けをするな、住民に対する暴行、拷問などの人権侵害をやめるようにとの指示を下したと伝えられているため、幹部たちは処罰を恐れているのだろう。
(参考記事:金正恩氏の「拷問部隊」が態度を豹変させた理由)近隣の村々には「この機会に警備隊の横暴をやめさせたい」という雰囲気があるという。ここでガス抜きが行われなければ、庶民のストレスがどのような形で爆発するかわからない。
(関連記事:妻子まで惨殺の悲劇も…北朝鮮で警察官への「報復」相次ぐ)高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。