北朝鮮国営の朝鮮中央通信は17日、「朝鮮労働党中央委員会委員で朝鮮最高人民会議代議員、人民武力省総顧問である金永春氏(朝鮮人民軍元帥)が、急性心筋梗塞によって16日3時10分82歳を一期に惜しくも逝去した」と伝えた。

1936年生まれで、日本の防衛相に相当する人民武力部長、軍総参謀長、国防委員会副委員長などを歴任した金永春(キム・ヨンチュン)氏は、金正日総書記時代を代表する軍の実力者。

同通信によれば、党中央委員会、党中央軍事委員会、朝鮮国務委員会、朝鮮最高人民会議常任委員会が共同名義による訃音を発表。「金永春氏は主席と総書記の忠実な革命戦士、最高指導者金正恩党委員長の親しい革命戦友であり、わが革命武力の強化・発展に大きく貢献した堅実な老革命家である」と称えた。

同通信はまた、金永春氏の葬儀は国葬として行われると伝え、金正恩党委員長と149人の委員からなる国家葬儀委員会が構成されたことが設けられたことを明らかにした。

同通信の報道全文は次のとおり。

金永春氏が逝去

【平壌8月17日発朝鮮中央通信】朝鮮労働党中央委員会委員で朝鮮最高人民会議代議員、人民武力省総顧問である金永春氏(朝鮮人民軍元帥)が、急性心筋梗塞によって16日3時10分82歳を一期に惜しくも逝去した。

金永春氏はチュチェ25(1936)年3月4日、両江道普天郡の貧農の家庭で出生した。

同氏は解放後、金日成主席の温かい懐で万景台革命学院と姜健総合軍官学校を経て頼もしい軍事指揮官に育った。

金日成軍事総合大学を卒業し、人民軍の各級区分隊、部隊で軍事指揮官として服務した同氏は、チュチェ60(1971)年から朝鮮人民軍総参謀部上級参謀、軍団参謀部副部長、チュチェ68(1979)年から総参謀部局長を務めた。

同氏は、チュチェ71(1982)年から朝鮮人民軍連合部隊と総参謀部の責任ある位置で活動し、チュチェ83(1994)年2月から朝鮮人民軍軍団長、チュチェ84(1995)年10月から朝鮮人民軍総参謀長の重任を担って金正日総書記を決死擁護し、全軍に党の唯一的指導体系を確立するうえで優れた勲功を立てた。

同氏は、チュチェ96(2007)年3月からチュチェ103(2014)年4月まで朝鮮民主主義人民共和国国防委員会の副委員長として活動し、チュチェ98(2009)年2月から人民武力部長、チュチェ101(2012)年4月から朝鮮労働党中央委員会部長、チュチェ103(2014)年4月から人民武力省総顧問の職務を歴任した。

同氏は、チュチェ69(1980)年10月から党中央委員会委員候補、チュチェ75(1986)年12月から党中央委員会委員、チュチェ99(2010)年9月からチュチェ105(2016)年5月まで党中央委員会政治局委員として活動した。

同氏は、チュチェ75(1986)年12月、朝鮮最高人民会議第8期から代議員として活動した。

党と革命、祖国と人民の前に積み上げた功労によって、金永春氏は栄誉の金日成勲章と金正日勲章を受勲し、金日成主席と金正日総書記のネーム入り腕時計表彰と共和国英雄称号をはじめ高いレベルの党および国家表彰を受けた。

同氏は、チュチェ105(2016)年4月、朝鮮人民軍元帥称号を授かった。

16日、朝鮮労働党中央委員会、党中央軍事委員会、朝鮮国務委員会、朝鮮最高人民会議常任委員会の共同名義による訃音が発表された。

訃音は、金永春氏は主席と総書記の忠実な革命戦士、最高指導者金正恩党委員長の親しい革命戦友であり、わが革命武力の強化・発展に大きく貢献した堅実な老革命家であると指摘し、同氏はたとえ逝去したが、党と革命、祖国と人民の前に積み上げた同氏の功績は朝鮮労働党の革命活動史、革命武力建設史に末永く輝くであろうと強調した。

同日、朝鮮労働党中央委員会、党中央軍事委員会、朝鮮国務委員会、朝鮮最高人民会議常任委員会は、故金永春氏の葬式を国葬に行うと明らかにした。

また、最高指導者金正恩同志を委員長とし、金永南氏のほか149人を委員とする国家葬儀委員会を構成した。

葬儀委員会は、故金永春氏の霊柩が4・25文化会館に安置されており、故人と永訣するために訪ねる弔客は17日9時から19日19時まで迎え、20日9時に故人の霊柩を出棺すると告げた。---

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