北朝鮮国営の朝鮮中央通信は14日、日本が「平和国家」を自称するのは「よこしま」であると主張する、外務省傘下・日本研究所の李明華(リ・ミョンファ)研究員の論評を配信した。

「いつまで『平和』の看板で世界を欺くつもりか」と題された論評はで李氏は、「日本が敗北後、『平和国家』として戦争否定の誓いを堅持してきたし、今後も世界の平和と安全に積極的に寄与すると言った安倍の太平洋戦争敗戦70年の談話」について、「よこしまだ」と指摘。続けて、最近の朝鮮半島情勢を巡り次のように論じた。

「朝鮮半島と地域の情勢は対話と緊張緩和へ志向され、世界の多くの国が平等と互恵、未来のための全面的な関係調整と発展の道を選んでいる。

このような時に、日本の二重的振る舞いは世界の平和の流れを左右する朝鮮半島問題に対する立場からその本色をさらけ出すしかない。

年明けから首相をはじめ高位政客が頻りに、北朝鮮のほほ笑み外交に惑わされるな、圧力強化が作用しているのではないかと離間行為をこととし、対話の雰囲気に水を差した。

そして、いざ歴史的な板門店(パンムンジョム)首脳の対面に続いて、シンガポール朝米首脳会談が実現されると、鼻がぺちゃんこになった」

そのうえで論評は、「世界の平和と安定に大きな影響力を及ぼす朝鮮半島問題に対するうえで要は、世界的な戦略国家である朝鮮の実体をはっきり見て対外政策的立場を調律すること」だと主張。「日本にとって、平和に対する真情さは過去清算にある」などと述べた。

論評の全文は次のとおり。

いつまで「平和」の看板で世界を欺くつもりか

【平壌8月14日発朝鮮中央通信】毎年、敗北の日を迎える日本の感情はつらいだろう。

1945年8月の敗戦以来73年間、毎日のようにファッショ戦犯国の悪いイメージを払拭していわゆる「平和国家」「正常国家」の新しい身分を得てみようとやっきになってきた日本である。

このことから、戦後日本に対外政治的に最も多く必要とされたものがあるなら、それは「平和」という用語であろう。

「平和憲法」「平和の時代」「平和的発展」「積極的平和主義」「平和成就」に至るまで、あまりにも多い。

正義と道徳、平和を文明と発展の基準とする現世紀の流れまで盗用して、より一層「平和主義」を高唱して「善良な国家」の行跡を宣伝している。

希代の政治漫画として歴史に記載された「善良な日本人」のイメージは、日本のこのようなイメージ改変狂症の集中的所産である。

1980年代に至って日本のある新聞社は、世界的な政治漫画家を招待して日本人の新しい肖像を描くようにし、善良な長男を象徴する「太郎さん」という名前を付けてやった。

過去、下駄に出っ歯の可笑しくて醜い姿で国際社会から軽蔑されていた日本人のイメージを世界的な政治漫画家の手を借りて一躍美しく作ろうとしたのである。

以後、日本の政客らは「太郎さん」をバックに自国に「善良な国家」「平和国家」のベールをかぶせて世界を欺いてきた。

日本の執権者は敗北60年を迎えて発表した談話で、「平和」という言葉をおおよそ12回も使いながら、日本の戦後史は戦争に対する反省を行動で示した「平和」の60年であったとけん伝した。

政策諮問機関が明示した「21世紀の日本の国家イメージ」の対外政治標語も「美しい国」の建設と「積極的平和主義」であった。

首相の安倍は、積極的平和主義は新しい日本の自画像であり、今後日本を代表して導いていく一つの旗印と力説した。

日本が敗北後、「平和国家」として戦争否定の誓いを堅持してきたし、今後も世界の平和と安全に積極的に寄与すると言った安倍の太平洋戦争敗戦70年の談話はもっとよこしまだ。

執権者が、戦後70余年の日本の平和の歩みに誇りを覚えると公言するほどに、日本は美化粉飾に余念がない。

果たして、日本が平和国家らしい成熟の道を歩んできたと言えるのか。

そうではない。

敗北と共に「天皇」制を保存した日本は、平和の幕の裏で政治、経済、軍事、文化、外交など、各分野にわたって軍国主義復活の道を歩んできた。

その二面性と巧妙性は、政治の歩みではっきりと露出された。

「太郎さん」の政治漫画を出現させた中曽根がまさに、「戦後政治総決算」をうんぬんして軍国主義の復活を狙った「平和憲法」廃棄の実際の発端を開いた者である。

今も、日本の政界で「平和憲法」改正の主張が一再ならず出ており、国民の半数以上が「平和憲法」の改正に手をあげているのが現日本社会の実状である。

21世紀にふさわしい日本の「新しい姿」の骨子は、日本が「自身を自ら虐待」してきたという敗戦国の心理から脱して、世界征服野望を実現すべきだということにある。

変わらぬ侵略野望によって殺気みなぎる日本の現在の姿は確かに、血塗られた軍旗「日の丸」を掲げて「皇軍」が歌っていた身の毛のよだつ「君が代」まで歌いながら、海外膨張の道に疾走しているファッショ狂の悪いイメージである。

過去、「東洋平和」を提唱して朝鮮侵略と日清戦争、日露戦争、太平洋戦争を強行した日本が、こんにちまたもや「平和」の看板を掲げて「新しい姿態」をうんぬんすることに嫌悪感を禁じ得ない。

こんにち、日本の政治的イメージは真の平和を願ったことも、言葉と行動が一致したこともない戦犯国の変わらぬ姿に残っている。

世紀をまたぐまで、過去の犯罪を清算していない政治いびつ、世界の平和と安全を重大に脅かす戦争勢力、お金しか知らない経済動物式思惟国家を対する国際社会の視線は冷たい。

日本は戦後70余年間、「平和」を侵略的対外政策の偽装看板にしてきた二面的振る舞いの代価をどっさり払っている。

朝鮮半島と地域の情勢は対話と緊張緩和へ志向され、世界の多くの国が平等と互恵、未来のための全面的な関係調整と発展の道を選んでいる。

このような時に、日本の二重的振る舞いは世界の平和の流れを左右する朝鮮半島問題に対する立場からその本色をさらけ出すしかない。

年明けから首相をはじめ高位政客が頻りに、北朝鮮のほほ笑み外交に惑わされるな、圧力強化が作用しているのではないかと離間行為をこととし、対話の雰囲気に水を差した。

そして、いざ歴史的な板門店(パンムンジョム)首脳の対面に続いて、シンガポール朝米首脳会談が実現されると、鼻がぺちゃんこになった。

これについて、米CNN放送が「安倍政権は北朝鮮を信じるなと忠告してきたが、米国と南朝鮮が対話に出ることで無視された」と報じるなど、安倍の「困難な状況」について多くの言論がやゆした。

「私が食べようとして食べられないブドウに土を投げる」というイソップ寓話のキツネのように、古びた「制裁・圧迫一辺倒」に執着していて平和の大きな流れから排除された疎外の現実は、日本の「平和主義」の欺まん性と過去の世界大戦の敗戦国の恥だけを強調している。

この契機に、日本は全てのことに真情さのない政治的気質によって、周辺国との「近隣外交」から失敗してきた歴史の教訓を噛み締めてみるのも悪くないであろう。

地域の平和保障に向けた対話の場で子犬扱いされていることこそ、彼らの自業自得と言える。

不安がる日本が、脱出口を探してみようと悪賢い胸算用をしているが、問題は根本にあると思う。

世界の平和と安定に大きな影響力を及ぼす朝鮮半島問題に対するうえで要は、世界的な戦略国家である朝鮮の実体をはっきり見て対外政策的立場を調律することである。

日本にとって、平和に対する真情さは過去清算にある。

日本の人口の80%が戦後世代なので、彼らに謝罪を続ける宿命を負わせてはいけないという安倍の発言が日本の本心なら、誰がそのような国を平和志向国家と言うだろうか。

実践のない「平和」の装いは世界に対する欺まんであり、愚弄であるだけだ。

日本が心から国際的認定を願うなら、変わった世界を納得させられる成熟した政治・道徳的面ぼうから備える方が良い。

そうしてこそ、日本の挫折はようやく終わるであろう。

日本研究所 研究員 李明華 ---

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