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1950年代の中葉、すでに米国は「原子力マーシャル計画」に従って日本にウラン濃縮技術をはじめ核兵器の開発に必要な中核技術を移転し、1960年代の末には試験用という美名の下、365キロの兵器級プルトニウムまで提供した。

1976年に日本の再処理工場の建設に合意してやったのも米国のフォード行政府であったし、1977年に原子炉級プルトニウムでも核兵器を製造することができるということを日本に暗示したのもカーター行政府であった。

1988年7月、米・日原子力協定の締結で日本に使用済み核燃料の再処理によるプルトニウム抽出とウラン濃縮を許したのは事実上、独自の核武装化を実現しようとする日本の反動層に羽をつけてやったことにほかならない。

白書は、日本の核武装化とそれによる世界的な核災難は時間の問題であると主張した。

現在まで、世界的に備蓄されたプルトニウム量は518トンで、そのうち、日本が保有している量は47トンに及ぶ。

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にもかかわらず、米国と日本の反動層は米・日原子力協定を自動延長させる反人倫的、反平和的犯罪をまたもや公然と働いたのである。