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朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の将官が、職権乱用などの容疑で公開処刑された。

デイリーNK内部情報筋によると、処刑されたのは朝鮮人民軍の中将で、人民武力省の後方総局(補給担当部署)検閲局(査察部署)局長のヒョン・ジュソンという人物だ。

ヒョン中将は先月初め、平壌市内中心部にある4・25文化会館の会議室で、朝鮮労働党中央委員会組織指導部の副部長級幹部と国家保衛省(秘密警察)、人民保安省(警察庁)、護衛司令部、軍総政治局、人民武力省の将官級の幹部らが見守る中、死刑判決を言い渡された。続いて平壌市郊外にある江健(カンゴン)軍官学校の射撃場で、人民武力省庁舎警務部(憲兵隊)の第2大隊第1中隊の兵士9人から拳銃弾計90発を打ち込まれ、処刑された。

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情報筋は言及していないが、処刑が行われた射撃場周辺にも多くの人が集められたものと思われる。

ヒョン中将は1962年生まれで、慈江道(チャガンド)江界(カンゲ)出身。南門高等中学校を卒業後に人民軍974部隊に入隊。要人の警護を担当する護衛司令部に抜擢され、故呉振宇(オ・ジヌ)元人民武力部長の別荘を守る部隊の中隊長を務めた。

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特殊部隊の軍官(将校)を要請する泰川(テチョン)軍官学校の大隊長班に進学し、卒業後には護衛司令部傘下の部隊で後方部大隊長、糧食部長を歴任した。大佐に昇級後は、人民武力省後方部燃油局検閲部長を勤めた。

一兵卒から中将まで登りつめた立志伝中の人物が、公開処刑という悲劇的で不名誉な最期を迎えたわけだが、その罪状は職権乱用と利敵行為、反党行為というものだった。

彼は今年4月10日、戦時物資の総合検閲の際に、西海衛星発射場(ロケット発射試験場)への燃料供給の実態を視察したとき、「もはや苦労してロケットや核兵器を作らなくても済む」と発言した。この発言が、職権乱用と党の先軍路線に反対する利敵行為とみなされた。

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また、燃料1トン、コメ580キロ、トウモロコシ750キロを西海衛星発射場で勤務する軍官やその家族に配給するよう指示したが、これが「党の唯一思想体系確立の10大原則」に反する反党行為とみなされた。

この報告を受けた金正恩党委員長は激怒し「個人偶像化の恐ろしい思想毒素が人民軍の高官を変質させている、変質した思想毒素は根絶やしにしなければならない」と述べ、銃殺を命じたと、情報筋は説明した。

党・軍・政府の機密事項を不用意に口にしただけではなく、配給で部下の歓心を買い、党の思想を欺いたことで、加重処罰されたというのが情報筋の見方だ。つまり、ヒョン中将の一連の行為は、「宗派行為」(分派行為=反政府活動)とみなされたということだろう。

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公開処刑後に当局は、集中学習、研究討論会、講演会などの政治学習を強化するよう各方面に指示した。その場では、核武力が完成したということが改めて伝えられ、すべての思想毒素を厳しく処罰するよう行政、党、法による処罰のレベルを高めることが指示された。

ちなみに、韓国の情報当局は人民武力省後方総局に検閲局という組織は存在しないと見ている。これは、「検閲局長」が何らかの事情で付けられた名目上の肩書で、ヒョン氏が実際は朝鮮労働党中央委員会の検閲委員会所属であり、後方総局に派遣されたものと見られている。

(参考記事:銃殺・絞首刑に「火あぶり」まで…ITで暴かれる北朝鮮「公開処刑」の実態