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北朝鮮政府が建国以来、最大の建設事業として進めている端川(タンチョン)発電所。160キロにも及ぶ水路と発電施設を作る大工事には、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士と民間人が数十万人も動員されているが、現場では事故が相次いでいる。(丹東:カン・ナレ記者)

日本企業が計画

両江道と咸鏡南道(ハムギョンナムド)のデイリーNK内部情報筋によると、江原道(カンウォンド)の洗浦(セポ)地区畜産基地建設に動員されていた922突撃隊、人民内務軍7総局、人民軍第7師団、平壌市内のタワーマンション団地の黎明(リョミョン)通りの建設に動員されていた護衛司令部の隊員が、昨年9月から端川発電所の工事に動員されている。

また、人民保安省(警察庁)、国家保衛省(秘密警察)傘下の各大学も、学生の卒業を1年延期して現場に送り込んだ。さらには各道の中等学院の孤児も卒業を早めた上で、今年2月から現場に送り込まれた。

一方、各地の工場や企業所は「端川発電所突撃隊」を立ち上げ、生産部門、非生産部門を問わず男性職員に半年間、現場で働くことを指示した。発電所建設現場に投入された人員は、兵士と民間人が半々ずつの延べ40万人にのぼる。

その現場の状況は、極めて劣悪だ。

1日に34人死亡

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「端川発電所の建設は、両江道(リャンガンド)の三水(サムス)、金亨権(キムヒョングォン)、咸鏡北道の端川と虚川(ホチョン)の30ヶ所で同時に行われているが、工具は削岩機、つるはし、石のみ、シャベルがすべてだ」

安全装備がないため、頻繁に人的被害が発生している。情報筋によると、安全対策と安全装備の不備により、護衛司令部1旅団だけで1ヶ月に34人の兵士が死亡した。重軽傷を負って除隊になる兵士はこれよりはるかに多い。

両江道の別の情報筋によると、端川発電所は、国家経済発展5カ年戦略が完了し、朝鮮労働党第8回大会が開催される2020年までに完成する計画だが、劣悪な供給体制と安全性を考慮していない無理な工事のため、現場の不満が高く工事が進んでいない。

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現場に動員されている息子に会いに行ったと語る咸鏡北道(ハムギョンブクト)の住民は、兵士たちは1日14時間も水路を掘削する工事に動員され、ひどい健康状態だったと現場の状況を説明した。

北朝鮮では従来から、国家指導者の生誕記念日や政治的に重要な日に成果として発表するために、無理やり工期を短縮する突貫工事「速度戦」が繰り返されている。

(参考記事:【再現ルポ】北朝鮮の橋崩落事故、500人死亡の阿鼻叫喚…人民を死に追いやる「鶴の一声」

そのため工事は手抜きにならざるを得ず、事故が多発している。平壌では23階建てのマンションが崩壊する事故が発生。高速道路の工事現場では、橋が崩落し500人が死亡する事故が起きている。

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この端川発電所だが、中朝国境を流れる三水発電所貯水池や鴨緑江など複数の河川の水を、160キロにも及ぶ地下水路を通して、東海岸まで流し、落差を利用して発電するカスケード発電所だ。途中には8つのダムと発電所が建設され、計画通りなら180万キロワットの電力が生産できるようになる。元々は、朝鮮が日本の植民地支配下にあった時代に、日窒コンツェルン(現チッソ)が計画していたものだ。

創業者の野口遵(のぐち・したがう)は、水量豊かな朝鮮半島北部の鴨緑江をせきとめ、巨大な水力発電所を建設するなど、電力事業に多大な投資を行った。野口はさらに、川をせき止めて巨大な湖を作り、そこ水を東海岸に流して発電し、興南肥料工場など各地の工場に供給するという壮大な計画を立てた。

設計まで終えたが、あまりにも壮大過ぎたため、結局断念した。そして、1945年8月15日の敗戦で日窒は朝鮮半島におけるすべての資産を失い、朝鮮から撤退した。

この計画は金正恩党委員長の祖父・金日成主席によって引き継がれた。彼は1980年代、西海閘門と合わせて端川発電所の建設を進めようとしたが、後者の建設は諦めざるを得なくなった。財政的な問題があったものと思われる。その後、長年に渡りその決定を悔やんでいたと伝えられている。

そして、構想90年に及ぶこのビッグプロジェクトを引き継いだのが、金正恩氏だ。2016年の新年の辞で「電力問題の解決に全党的、全国家的な力を入れるべきだ」と述べ、白頭山英雄青年発電所、清川江(チョンチョンガン)階段式発電所と合わせて端川発電所の建設に言及した。

しかし、着工にこぎつけたのはそれから1年以上経った2017年5月18日になってからだ。朝鮮労働党第7回大会に向けた様々な記念工事で、労働力の確保がままならなかったためだ。