北朝鮮を訪れる外国人観光客が必ず訪れるのが、平壌の地下鉄だ。復興(プフン)駅から栄光(ヨングヮン)駅まで1区間の体験乗車が普通だが、最近では全路線に乗り、16ある全駅を訪れるツアーもある。
平壌地下鉄は、かねてから運行の不安定さが指摘されており、現在も同様の状況が続いているもようだ。
大韓貿易投資振興公社(KOTRA)の厦門貿易館の報告書によると、平壌地下鉄は年に20回も、運行中の停電を起こしている。つまり、走っていた電車が急に止まり、乗客は電気が復旧するまで暗黒の中で足止めされてしまうのだ。それを防ぐために、電車は社内の照明を最小限に絞って運行している。
また、ラッシュアワーには5分から7分間隔で運転することになっているが、実際は極めて不規則な運行となっている。さらに、地上の改札口と地下100〜150メートルのところにあるホームを結ぶエスカレーターは、電力難と老朽化で故障が頻繁に起きている。故障した場合は、駅が閉鎖されてしまう。
報告書は、2015年11月に登場した新型車両についても言及している。金正恩党委員長は新型車両に試乗し、「われわれの力と技術、われわれの手で製作した地下鉄電動車を人民が利用すれば本当に喜ぶであろう」と、自国の技術で新型車両を制作したことを自賛している。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面ところが、KOTRAの報告書によると、新型車両は1編成の投入にとどまり、限られた時間帯にしか運行されていないという。さらに同報告書は、新型車両は国産品愛用運動のプロパガンダの道具に使われただけと指摘している。新型車両が本格的に運行されないのは、技術的な問題が生じているのか、外国人観光客などを乗せるための特別列車として大事にしているのか、その理由は定かでない。
(関連記事:金正恩氏を乗せて地下鉄車両の試運転が行われる)報告書はさらに、平壌鉄道総合大学が高速鉄道建設の設計図案を完成させたことと、当局が2013年に新義州(シニジュ)から平壌を経て開城(ケソン)を結ぶ高速鉄道計画を発表したことに触れつつも、北朝鮮が直面している深刻な電力難を考えると、実現は非常に難しいと結論づけている。
地下鉄工事で大事故、100人が死亡か
1968年に工事が始まった平壌地下鉄は、1973年に開通した。2路線の総延長は34キロになるが、周辺諸国の都市鉄道網の距離(北京:約540キロ、ソウル首都圏:約1100キロ、東京首都圏:約4700キロ)と比べると非常に短い。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面平壌地下鉄の延長計画も何度か持ち上がったが、いずれも頓挫している。北朝鮮当局は1980年代、平壌に隣接する平城(ピョンソン)までの延長計画を立てた。しかし試掘調査で技術的な限界にぶつかり、断念したと伝えられている。
また、2000年10月の朝鮮労働党創立55周年に合わせ、平壌市内を流れる大同江の下を通し、チュチェ思想塔などがある東平壌まで延長する計画もあったが、進展は出ていない。
朝鮮日報は2013年10月28日付で、トンネル建設を5〜6回試みたが、いずれも失敗したと報じている。また、1971年には烽火(ポンファ)駅から大同江に向かうトンネルの建設現場で崩落事故が発生し、高級幹部の子どもを含む100人以上の労働者が死亡したとの情報があるが、確認されていない。
韓国軍事政権が隠していた平壌地下鉄
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面一方、韓国では1974年8月、ソウル地下鉄1号線が平壌に1年遅れて開通した。韓国では当時から長期にわたり、平壌地下鉄の存在が伏せられていた。理由は次のようなものだ。
韓国の国家保安法と反共法(1980年廃止)は、反国家団体(北朝鮮政府)を鼓舞讃揚(褒め称えること)した者は7年以下の懲役に処すると定めている。平壌に地下鉄があると報道することは、この法律に違反しかねないと受け止められていたため、誰も言及しなかったもようだ。
ホームレスからヤクザを経て、国会議員の座に上り詰めたことで知られる金斗漢(キム・ドゥハン)氏は、1967年5月の国会議員選挙の遊説で「電気が入ってきたのは北朝鮮のほうが先」と発言した。それが「北傀(北朝鮮)の経済発展状況の讃揚」にあたるとして、反共法違反で逮捕された。電気のことで問題になるほどなので、地下鉄に言及するのはタブー中のタブーになってしまったのだろう。1970年代は、韓国経済が北朝鮮経済に追いついたばかりの頃だったので、当時の軍事政権は北朝鮮の実像が伝えられることに過敏になっていたのだ。
デイリーNKジャパンの調べでは、韓国メディアで初めて平壌地下鉄に言及したのは、1976年10月30日付の東亜日報の記事だ。自首した北朝鮮スパイの証言として「平壌の地下鉄と、労働党庁舎、政務院庁舎を地下でつなげて、戦争指揮部を設置してある」旨を伝えているが、地下鉄の詳細には触れていない。
路線や車両、設備、駅や車内の雰囲気など、平壌地下鉄の詳細に触れたのは、1985年の南北赤十字会談に際して韓国側代表に同行し、平壌を訪れた各紙記者の書いた記事が初めてだ。韓国が漢江の奇跡と呼ばれる高度成長を遂げ、北朝鮮を経済面で圧倒したころの話だ。