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かつて、韓国のソウルで使われていた言葉は、市内を東西に流れる漢江を境にアクセントが異なっていた。1980年代以降は、川の南側(江南)で使われていたアクセントが一般化したが、それ以前は川の北側(江北)のアクセントが一般的で、今でも年配の人を中心に使われている。

そのため旧来のアクセントは、日本語の「○○じゃ」のようなイメージが持たれるようになった。このアクセントは、北朝鮮の平壌など平安道(ピョンアンド)や黄海道(ファンヘド)で今でも使われているものと似通っている。そのため、韓国の人々が北朝鮮の言葉を聞くと「年寄りくさい」というイメージを持つようだ。

平壌の人々は、自分たちが使う文化語(標準語)や平壌方言を「ウグイスの鳴き声のよう」だと自慢している。一方、ソウルの言葉に近い開城(ケソン)は、朝鮮戦争前は韓国側の領土だったこともあり、地元の言葉は隠すべきものだとされてきた。

しかし、そんな状況に大きな変化が生じた。ソウルの言葉が「ソフトでおしゃれ、かっこいい」と認識されているのだ。そして、韓国式の言葉遣いが広まり続けている現状を取り締まるよう当局が指示したと、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋によると、「最近、青年たちの間で南朝鮮(韓国)の言葉を使う現象が増えていることについて至急対策を行え」との指示が中央から下された。

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これまで度々、韓国式の言葉遣いを止めるよう指示が下されたにもかかわらず、依然として根絶されないばかりか、むしろ使う若者が増えている深刻な状況にあるというのだ。

実際、同様の取り締まりは2017年にも行われたが、全く効果がなかったようだ。

(参考記事:北朝鮮当局が「言葉狩り」に躍起…韓流ドラマの蔓延を恐れ

これを受けて青年同盟(金日成・金正日主義青年同盟)は、若者の間で交わされる日常の会話や、携帯電話での通話で韓国式言葉遣いが増えていることを確認し、「わが社会(北朝鮮)を瓦解させようとする敵どものブルジョア思想文化的浸透策動に同調する許しがたい反逆行為」などとして、検閲グルパ(取り締まり班)を立ち上げ、厳罰を予告した。

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同様の現象は朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の内部でも起きている。両江道(リャンガンド)の軍関係者によると、韓国式の言葉遣いを使うだけにとどまらず、「南朝鮮」と呼ぶべきところを「韓国」と呼ぶ現象まで現れているとし、人民軍総政治局はこれらを根絶せよとの指示を下したという。

北朝鮮の軍と言えば強硬なイメージが強いが、それとは異なり、軍内での韓流浸透度は相当な状況にあるようだ。韓国と対峙する軍事境界線付近や、中国との国境付近など、あるいは誰の目にも触れない山奥など、海外からの情報に接しやすい地理的条件下で勤務していることが影響していると思われる。中には、韓国から数百キロ離れた地域で、韓国のKBSテレビを直接受信している軍官(将校)もいると伝えられている。

(参考記事:バレたら一巻の終わり…北朝鮮の女性兵士が葬られた「禁断のラジオ」

ドラマ、映画、バラエティ、K-POPなどの韓流が北朝鮮に流入し始めたのは1990年代のことだ。それと同じ頃から、韓国式の言葉遣いも使われるようになった。

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デイリーNKの内部情報筋は2007年に、北朝鮮当局が、韓国風の言葉遣いや中国語を受け入れる風潮を諌める思想教育を行ったと伝えている。

例えば、リモコンは当局が作った訳語「遠隔操縦機」ではなく、中国語の「搖運機」(ヤオコンチー)が訛った「ヨクンジ」または「ヨクン」が使われていた。それが、この時期に韓国式用語、言葉遣いに変化していったという。

(参考記事:北朝鮮の若者「中国の文化は流行遅れ、今は韓流」

また、2011年に中国で行われた北朝鮮国民を対象としたインタビューでは、若者のみならず、農民から高官に至るまでの幅広い階層で、韓流や韓国製品が消費されている状況が語られている。韓国式言葉遣いを巡る過去10数年の動きを見ると、いくら取り締まってもイタチごっこになるだけで、ほとんど意味がないことがわかる。

(参考記事:【北朝鮮国民インタビュー】食事を我慢してでも韓流を見る

「言葉狩り」の動きに対して現地住民は、来年1月の朝鮮労働党第8回大会に向けた成果拡大キャンペーン「80日戦闘」の終了直前で取り締まり実績をあげようとする動きが現れ、下手に韓国式の言い回しを使うと厳罰を受けかねないと緊張している。同時に、人民生活が困窮の度合いを増しているのに、生活とは全く関係のない問題で検閲を行い、人々を痛めつけていることに対して不満を募らせていると伝えた。