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北朝鮮の金日成首相(当時)は朝鮮戦争が休戦になってから間もない1956年2月、平安南道(ピョンアンナムド)の朝鮮労働党价川(ケチョン)郡委員会(現在は价川市)代表大会で「トウモロコシは畑の穀物の王だ」とのスローガンを掲げ、トウモロコシ栽培面積を大々的に増やす方針を示した。

北朝鮮は黄海道(ファンヘド)、十二三千里平野などの穀倉地帯を擁する一方で、気候的に稲作ができない地域も多く、トウモロコシの栽培奨励は理に適ったことと言えよう。また、山間部などでは伝統的にトウモロコシがよく食べられていた。

そのトウモロコシが、1990年代後半に北朝鮮を襲った大飢饉「苦難の行軍」において、多くの命を救った。ただし、品種は日本で売られているような甘みの強いものではなく、パサパサしてお世辞にも美味しいとは言い難いものだ。食糧供給が安定するに連れ、以前ほどは食べられなくなり、貧しい人が食べるものとなっていた。

(参考記事:北朝鮮、飢餓の象徴「トウモロコシ飯」が消えた?!

ところが、ここ最近になってトウモロコシの人気が復活しつつあると、平安南道のデイリーNK内部情報筋が伝えた。理由はもちろん経済難だ。

毎年繰り返される自然災害、国際社会の制裁、アフリカ豚熱(旧称アフリカ豚コレラ)の蔓延に加え、今年は新型コロナウイルス対策で国境が封鎖され、景気が今までになく悪化した。

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(参考記事:金正恩式「コロナ対策」で死の淵に追いやられる患者たち

収入が激減した人々が、より安いものを買い求めるようになり、トウモロコシの需要が増えたのだ。ただし、従来のようにトウモロコシ飯として食べるのではなく、様々に加工されて市場に出回る。

脱北して韓国に住む人々の間で「ふるさとの味」として愛されている速度戦餅(トウモロコシ粉の餅)やトウモロコシ麺など従来のメニューに加え、様々なお菓子や天ぷらなども登場し、主要生産地の山間地のみならず、平壌郊外の流通の要衝、平城(ピョンソン)の市場でも人気を集めている。

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国境封鎖による食糧難や経済難が深刻化しても、過去20年で多様化した北朝鮮の消費者の欲求が単純化するわけではない。商人たちは、様々なアイデアをひねり出し、苦しい中でもいかにして儲けようかと苦心している。

(参考記事:北朝鮮版「細うで繁盛記」の悲惨過ぎる結末

ちなみにデイリーNKの調査によると、トウモロコシは1キロで1500北朝鮮ウォン(約18円)前後で売られているが、1月に比べると3割ほど値上がりしている。それでもコメの3分の1の価格だ。