北朝鮮の農業の根幹をなすのが協同農場だ。かつては農民個々人が行っていた農業を、1つの集落(里)が1単位となり、協同で生産に取り組む仕組みだ。
ひとつの協同農場には6から8の作業班があり、1つの作業班は6から10の分組に分かれる。1つの分組には10人から20人の農民が所属し、与えられたノルマに応じて農作業を行う。しかし、実用的な農業技術より精神論的な色合いが強い「チュチェ(主体)農法」を導入したことに加え、どれだけ働いてももらえる給料が変わらないため、生産性が低い。
「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉の真っただ中にあった1996年、当局は農民に余剰生産分の自由処分権を認めるなどの改革を図ったが、さほど大きな成果は上げられなかった。
金正恩党委員長は2012年6月、「われわれ(北朝鮮)式の新たな経済管理体制を確立することについて」と題した談話を発表した。工場、企業所、協同農場の自由裁量権を広げることが主な内容だが、その一つが「分組担当制」の導入だ。これは後に、家族が一定の広さの農地の農作業を任され、収穫に応じて分け前を得られる「圃田担当制」に移行した。
この制度、2012年秋からの導入がアナウンスされていたが、平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋によると、まだ導入されいないところが多いようだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「圃田担当制は全面的に施行されているわけではなく、一部でモデルケースとして行われている」(情報筋)
圃田担当制は徐々に全国に広がりつつあるものの、その効果については懐疑的に見る向きも存在する。当局は農業生産性が高まったと宣伝しているが、それを示すデータが存在しないためだ。
一方で、この制度が農民の労働意欲を高めたことは否定できないとの評価もある。前例のない割合で収穫物を農民に与え、ある程度自由に処分できるようにしたことは、大きなモチベーションになっているということだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面情報筋も、この制度を肯定的に評価する。
「個人圃田制(圃田担当制)が実施されるようになり、農業により熱心に取り組むようになった。収穫量の3割を国に納め、残りの7割は自分のものとなる形なので、農民の生活が楽になった。分組を家族単位にして農作業を行うが、国に納めるものを除けばすべてが自分のものとなるので、農民は以前より熱心に働くようになった。肥料は買うとカネがかかるが、堆肥(人糞や動物の糞で作る肥料)は自前で集められるので、労働者より農民が熱心に集めるようになった」
ただ、試験的に導入した単位でも、必ずしもうまく行っているとは言えないようだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「順川(スンチョン)市龍峯里(リョンボンリ)の協同農場など一部を除いては、圃田担当制を導入したものの、ウヤムヤになってしまった。最初は生産性が高まりそうだと言っていたが、収穫のほとんどを国に奪われてしまったため、やる気をなくしてしまったのだ」(情報筋)
なぜそんなことになってしまうのか。道内の文徳(ムンドク)に位置する立石(リプソク)協同農場を例に挙げて説明しよう。
国が定めた年間の穀物の計画収穫量は6000トンだが、現場ではその6〜7割を現実的な目標としているという。計画収穫量は、農場幹部が前年に行った虚偽報告の、水増しされた数字を元に設定されているからだ。
収穫量が減ったとしても、国は元々の計画収穫量の3割を強制的に買い上げる。価格は1キロ240北朝鮮ウォン(約3円)と、市場価格の20分の1以下というタダ同然の値段だ。収穫量の残りから諸経費分、翌年の種を除いた部分は農民に分け与えられるが、その量は期待していたほどにならないのだ。
「いくら一所懸命働いて穀物を受け取っても1年分の食糧には足りない」(情報筋)
(参考記事:北朝鮮、計画経済と「虚偽報告」が引き起こす食糧難)問題の根底にあるのは、もはや建前に過ぎない計画経済を北朝鮮が維持していることにある。
計画経済とは、1年間に生産される鉱工業、農業などすべてのものを計画で決めるというものだ。北朝鮮では内閣の国家計画委員会が農業の計画収穫量を策定しているが、それは前述したとおり、農場幹部の虚偽報告によって水増しされた数字が元になっている。
北朝鮮は近年、大雨や日照りなどの自然災害により繰り返し大打撃を受けているが、それは全く考慮されず、計画量が達成できなければ農場幹部は処罰される。それを恐れ、幹部らは虚偽の報告を上げてしまうのだ。
「生産性が高まったという話は数か所を除いては聞こえてこない」(情報筋)
無意味な計画経済的な農業をやめ、現実を受け入れなければ、北朝鮮の人々を苦しめ続ける食料供給の不安定性が解消することは難しいだろう。
(参考記事:穀物1キロで売られる女性たち…北朝鮮で食糧危機の予感)