筆者は、金正恩氏が暴君へと変化するターニングポイントがこの時だったと見ている。実際、この事件以後、金正恩氏の恐怖政治が本格的に幕を開ける。翌2014年、北朝鮮は大きな軍事的挑発を行っていないが、国内では粛清と処刑の準備が行われていたのかもしれない。
2015年3月には、金正恩氏の妻である李雪主(リ・ソルチュ)夫人も一時期在籍していた「銀河水管弦楽団」のメンバーらが銃殺された。北朝鮮での銃殺刑は珍しくないが、メンバーらは凄惨きわまりない殺され方で銃殺されたと伝えられている。
3月には先述の玄永哲氏処刑事件が起き、5月には、金正恩党委員長がスッポン工場を現地指導した際、管理不十分という理由だけで責任者を処刑し、さらに処刑直前の激怒の動画まで公開した。