金日成は陸軍と海軍に比べて、相対的に不足した空軍の人材を、日本軍出身の操縦士と技術者でおぎなった。金日成は朝鮮航空協会を組織し、自分が直接名誉会長になるほど、空軍の創立に高い関心をいだいた。
こうしたリ・ファルも、一時は出身成分のため、咸鏡南道の咸興市にあるカダム電気機械工場の労働者として、10年以上左遷されたこともある。
後日、金日成は「リ・ファルが宗派分子たちの計略でそのようになった」と言い、リ・ファルを再び平壌に呼んだ。軍服を着せて、階級も人民軍中将に任命して、祖国解放戦争記念館の講師として働かせた。
一方、北朝鮮はリ・ファルが、南朝鮮が空軍司令官にするから来なさいとそそのかしても行かない立派な人物と評価し、彼の一代記を扱った映画「赤い翼」を製作した。
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