北朝鮮の民主化を目指す韓国のNGO・朝鮮改革開放委員会は8日、この日が金正恩党委員長の誕生日であるのに合わせ、軍事境界線付近から北朝鮮に向けて気球を飛ばし、対北宣伝ビラを散布した。

拷問や銃殺も

気球に取り付けられた散布機は、バッテリーとモーター、タイマーを内蔵。設定された時刻になると、ビラが次々と空中からまき散らされる仕組みだ。大量のビラを一度に落下させていた従来の方法より、いくぶん進化したと言える。

そのようにしてまき散らされたビラに何が書かれていたかと言えば、正恩氏の家系図である。正恩氏の母親が日本生まれであり、またその父親が戦争中に旧日本軍の協力者であった事実を北朝鮮の国民に知らしめ、体制の宣伝する「抗日パルチザンの血統」の欺瞞性を暴露しようというわけだ。

北朝鮮の国民にひた隠しにされてきたこうして事実も、権力層の間では久しく前から「公然の秘密」であり、幹部たちの間で「金正恩ニセモノ説」が囁かれる根拠となっている。

そんな状況の中、正恩氏は血を分けた妹・与正氏を側近として重用してきた。与正氏は兄の視察に頻繁に同行。労働新聞の写真などを見ると、与正氏はいつも明るい笑顔を浮かべており、いかにも仲の良さそうな兄妹だ。また、その自然体の表情は、「話の通じる人物なのではないか」との期待を、一部の北朝鮮ウォッチャーに抱かせていたりもする。

とはいえ彼女が、北朝鮮において「普通の人」でないのは確かだ。昨年5月には、彼女の学生時代の友人らが、些細な言動のために「大量失踪」した事件もあった。

そして今、そんな与正氏が危機を迎えている。米財務省が11日、北朝鮮の人権侵害への関与が疑われるとして、与正氏を含む7人と2団体を制裁対象として追加指定したのだ。

与正氏は、朝鮮労働党中央委員会・宣伝扇動部の副部長の要職にある。宣伝扇動部は、国民の思想や情報の統制を司る部署だ。北朝鮮で外部の情報に触れた人々が、拷問や銃殺を含む厳しい処罰を受けているのは、周知のとおりである。

与正氏が担当するのは、こうした思想統制ではなく政治行事であるとの説もあるが、制裁対象とされることはまったく的外れとは言えない。

今の世の中、人権犯罪者としての容疑をかけられるということは、相当に重い意味を持つ。

与正氏が単に独裁者の血縁であるだけであれば、仮に将来、北朝鮮の体制に変化が起きた後も、彼女は平穏な人生を送ることができるかもしれない。何故なら、どのような家庭に生まれるかは、誰にも選択できないことだからだ。

しかし、彼女個人が人権犯罪の容疑者となってしまえば、厳しい追及に遭う可能性が高まる。そうならずとも、周囲は容易にそのことを忘れてはくれない。

それもこれも、彼女の祖父と父、そして兄が続けてきた恐怖政治に原因がある。正恩氏は、肉親を思うならばこの事実と向きわなければならないわけだが、彼に果たして、そのようなことができるだろうか。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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