2013年8月、日本と韓国のメディアは、金正恩氏の恋人であるとの説が取りざたされていた北朝鮮の有名歌手、玄松月(ヒョン・ソンウォル)氏が公開処刑されたと報じた。

玄松月氏など北朝鮮の有名芸術団のメンバー9人がポルノ動画を撮影し、頒布したことと、金正恩党委員長の夫人・李雪主(リ・ソルチュ)氏を中傷したというのがその理由だ。真偽の問い合わせを受けた韓国の国家情報院が「その事実を知っている」と答えたともあって、この情報は、あたかも事実であるかのようにとらえられた。

ところが、玄松月氏はしばらくして、第9回全国芸術大会にモランボン(牡丹峰)楽団団長として登場。マスコミと国家情報院の情報に間違いのあることが明らかになった。

しかし、北朝鮮の有名芸術団のメンバーの行為が罪に問われ、公開処刑されたのは事実である。この出来事は、北朝鮮国内でも激しい衝撃を持って受け止められた。

脱北者で韓国のNGO・北朝鮮戦略情報サービスセンター代表のイ・ユンゴル氏は、この事件に関する詳細な情報を入手したとして、韓国のタブロイド紙・日曜新聞の11月27日付でレポートしている。その概要を以下に整理する。

ポルノ動画事件に関わった芸術団員の公開処刑は、2013年8月20日に行われた。内部関係者によると、彼らは北朝鮮の戦勝60周年を記念する行事(2013年7月27日)の4日後に逮捕され、3週間後に処刑された。

公開処刑が行われた平壌市順安(スナン)区域の姜健総合軍官学校の射撃場には、芸術団を直轄する中央党組織指導部の関係者はもちろん、宣伝扇動部の関係者、内閣文化省の関係者、主な文化芸術関連組織を管轄する党組織と宣伝部門の関係者、功勲俳優クラス以上の芸術家ら約2000人がいたことが確認されている。

最高レベルの芸術団体

処刑は午後4時から約1時間にわたって行われた。処刑の理由は、すでに報道されたとおり、金正恩氏の夫人である李雪主氏を中傷したり、皮肉ったりしたことと、ポルノ映像を撮影し、金銭目当てに頒布したことだ。

中央裁判所の判事は判決文で「人間らしからぬ者が、革命の最高首脳部について云々してデマを撒き散らし、犬のように富を蓄積し、堕落した行為を続けた」と指摘した。

この事件にかかわったのは10人であると確認されている。うち、処刑されたのは9人だ。

いずれも銀河水(ウナス)管弦楽団、または旺載山(ワンジェサン)芸術団のメンバーだった。このうち、銀河水管弦楽団に所属していたのは、トップバイオリニストだったチョン・ソニョン氏(女性、当時32歳)と男性歌手5人、旺載山芸術団の所属は男性サックス奏者のキム・ヒョンイル氏と別の男性2人、30代の女性ダンサー1人だった。処刑されたのは、女性が2人、男性が7人である。

美貌のバイオリニスト

この2つの芸術団は、北朝鮮を代表する最高レベルの芸術団体だ。

銀河水管弦楽団は2009年5月に、正恩氏の主導により設立された。よく知られているように、正恩氏の夫人である李雪主氏は、この芸術団所属の歌手として活動していた。

1983年に結成された旺載山芸術団(旧旺載山軽音楽団)も、北朝鮮を代表する電子音楽団で、ギム・グァンスク氏、チョン・ヘヨン氏などの有名歌手が輩出した。

女性が主導

事件にかかわったバイオリニスト、チョン・ソニョン氏は北朝鮮でも一二を争う美貌の演奏者だった。彼女の公演を見た海外の某有名指揮者が、イタリアに招きたいと述べたとの逸話がある。彼女以外で事件に関わっていたのは、銀河水管弦楽団の有名歌手ムン・ミョンサム氏、キム・ギョンホ氏、リ・チュニル氏、カン・ジョンフン氏だった。

歌手キム・ギョンホ氏は、北朝鮮の功勲俳優であるキム・ギヨン氏の息子だ。生前の金正日総書記から「非常によくできた、優れた実力の俳優」と褒め称えられ、バリトン歌手としても活躍していた。

そのような背景もあり、キム・ギヨン氏は息子たちが処刑された後にも、どうにか生き延びることができた。処刑された芸術団員らの家族は政治犯収容所に送られたのだが、同氏だけが、わずか3ヶ月で平壌に戻ることができたのだ。正恩氏の「配慮」によるものであることは間違いない。

長期間続いた行為

銀河水管弦楽団のチョン・ソニョン氏とムン・ミョンサム氏(30代後半)以外は皆、20代の若手だった。彼らの猟奇的行為は、ベテランであるチョン・ソニョン氏が主導したものだった。彼女らと、同時に処刑された旺載山芸術団所属のメンバーらは、合同公演時の際に知り合ったという。

旺載山芸術団所属の30代の女性ダンサーは、朝鮮労働党宣伝扇動部の副部長クラスの男性と内縁関係にあったとされている。彼女は、同時に処刑された芸術団の3人のサックス奏者と、長年に渡り違法行為を行なっていたことが確認された。彼女の内縁関係にあった副部長クラスの男性は、事件が収束した後すぐに党から追放された。

ポルノ映像の撮影と頒布は、双方の芸術団の内部で以前から密かに行われていた。

防音使用の室内で

双方の芸術団のメンバーが本格的に協力してこのような行為に及んだ背景には、北朝鮮の芸術団の内部の環境と関係がある。銀河水管弦楽団は、「1号公演」を主導する北朝鮮国内の主要な芸術組織だ。

1号公演とは、北朝鮮の最高指導者が鑑賞する公演を意味する。2008年8月に脳卒中で倒れた後、回復した金正日氏は、2009年5月に創設された銀河水管弦楽団の公演を、多い時には週2〜3回も見るほど、愛着を持っていた。最高指導者の欲求を満たすために、各芸術団体は合同公演を行うこともあった。

1号公演が決まると、各芸術団は長期間のリハーサルを行う。場所は、2003年に韓国の現代峨山が建てた鄭周永体育館だ。平壌の柳京ホテルのそばの川岸にある鄭周永体育館は、韓国資本と技術によって建てられたため、北朝鮮では最も設備が優れており、様々なスポーツの試合や芸術公演が行われる。

薬物も使用か

館内には、芸術団員が個人的に、あるいはグループでリハーサルを行う部屋が数十室も存在する。そしてそれらの部屋は、完璧な防音仕様になっているのだ。

1号公演を控えて、美貌と実力を兼ね備えた若手のメンバーは、長期間ともに過ごす。過酷なリハーサルに耐えるため、向精神薬のような薬物を使っているとも言われている。このような環境で、ポルノ映像が撮影されたのである。映像は高値で売買されたという。

メンバーの犯罪が明るみに出たきっかけは、公開処刑よりもはるか前の2013年4月に起きた出来事だった。この事件にかかわった銀河水管弦楽団のメンバーの1人、リ・チュニル氏が、当局に自分たちの行いを告白したのだ。彼は、犯罪に関わったことで長い間、恐怖と罪悪感に苛まれいたという。

盗聴で新事実が

リ・チュニル氏は、この事件とは全く別の事件で、国家安全保衛部の取り調べを受けた。恐怖を覚えた彼は、自分を担当した保衛員に、ポルノ撮影の犯罪事実を素直に打ち明けた。彼は、自分の犯したことの深刻さを認識し、何とかして処罰を免れようと、自白に至ったのだった。

そのことを把握した保衛部は、すぐに容疑者を処刑しようとはしなかった。さらなる状況の把握や証拠固めが必要だった上、その年の7月に1号行事が予定されていたからだ。

2013年7月27日は、朝鮮戦争が休戦になってから60年目に当たり、北朝鮮では「戦勝60周年」とされていた。このような節目の年を重要視する北朝鮮にとって、この行事は非常に大切なものだった。有名俳優や音楽家が抜ければ、行事に多大なる支障が出ると予想された。

正恩氏が激怒

リ・チュニル氏の自白に基づき、違法行為の存在を認識した保衛部は、容疑者らを盗聴し、映像が保存されたUSBメモリーなどの証拠を確保した。その過程で、ポルノ映像とは別の犯罪事実を掴んだ。

ポルノ撮影に関わっていた銀河水管弦楽団のメンバーの1人が、李雪主氏の悪口を言っていたのだ。金正日氏が元舞踊家の高ヨンヒ氏と結婚し、その息子である金正恩氏が元歌手の李雪主氏と結婚したことをバカにしていたのだという。

発言の内容は「父親が『ティンタラジェンイ』の高ヨンヒと結婚して、そいつの息子(金正恩氏)も『ティンタラジェンイ』の李雪主と結婚した」というものだ。「ティンタラジェンイ」とは、芸能人の蔑称だ。彼らは、自分たちと同じ舞台に立っていた李雪主氏についてよく知っていたため、小バカにするような態度を取ったのだ。報告を受けた金正恩氏は激怒し、彼らの処刑を命じた。

リ・チュニル氏の自白に基づき、捜査が着々と進んでいたことを、メンバーは誰ひとりとして知らなかった。

彼らは、戦勝60周年記念の記念公演の準備を行い、成功させた。その後すぐに逮捕され、公開処刑された。処刑されたメンバーの家族は、前述のキム・ギョンホ氏の父、キム・ギヨン氏を除き、すべて政治犯収容所の革命化区域に送られた。

犯罪事実を自白したリ・チュニル氏は命拾いしたものの、事件に関与していたため、表舞台から姿を消した。

銀河水管弦楽団は、2014年初めに解散となった。玄松月氏と一緒に処刑説が浮上していたムン・ミョンジン団長は管理責任を問われ、革命化処分を受けたと伝えられている。

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