韓国のラッパー、カン・チュニョクさん。彼は、他のラッパーとは全く異なるバックグラウンドを持っている。北朝鮮の咸鏡北道(ハムギョンブクト)の穏城(オンソン)出身、世界でおそらくただ一人の「脱北ラッパー」だ。

方言混じりのリリックで、金正恩党委員長を「ブタ野郎」と激しくディスる異色のラッパーが、先日ソウル市内でクラブイベントを開いたと、韓国メディアが報じている。

父は刑務所で強制労働

彼はどんな人生を歩んできたのだろうか。韓国のJTBCのバラエティ番組「非正常会談」に出演した彼は、生い立ちを次のように語った。

北朝鮮が大飢饉「苦難の行軍」の真っ只中にあった1997年。咸鏡北道(ハムギョンブクト)の穏城(オンソン)に住んでいたカンさん一家は、餓死の危機に瀕していた。父は家族の窮状を救うため、一人で国境を越えて中国に出稼ぎに行った。

ある日、国境の川を見つめていて、家族のことを思い出した。そして、なけなしのカネをはたいてごちそうを買い、家族のもとに向かおうとした。ところが、川を渡りきったところで、摘発されてしまったのだ。

「この国に未来はない」

教化所(刑務所)に送られ、劣悪な環境と強制労働で体を壊してしまった父。母が刑務官に「しばらくの間、外に出してやってくれないか。1〜2週間で家で休ませて体力が回復したら戻らせるから」と頼み込み、ワイロを掴ませて、父を教化所から連れ戻した。

家に戻った父は、「この国に未来はない。脱北しよう」と家族を説得した。そして、1998年に一家全員で中国へと脱出した。

「韓国に行けば臓器と血を抜かれて殺される」

そんなプロパガンダが信じられていた当時、一家は韓国行きを考えず、中国にとどまっていた。しかし、様々な情報に接して、徐々に韓国の実情への理解が進み、韓国に行くことを決意。ベトナム経由で韓国に入国した。カンさんが16歳のときのことだった。

プロのラッパーに

韓国の弘益大学に在学中だった2014年、カンさんは韓国の音楽専門チャンネルMNetのヒップホップオーディション番組「Show me the money」に応募した。3000人以上のラッパーとの競争を勝ち抜き、1回目のオーディションの合格者96人の中の1人となった。

その生い立ちと、北朝鮮の劣悪な人権状況を批判するラップが世間の注目を浴びた。しかし、2回目のオーディションでは、緊張のあまり歌詞を忘れてしまい、落選した。

幸いにも、審査員を務めた俳優のヤン・ドングン氏の目にとまり、ラッパー、美大生、画家、北朝鮮の人権状況を証言するアクティビストの4足のわらじを履くことになった。

彼がラップを知ったのは、中国で息を潜めて暮らしていた頃。その反抗的なリリックは、指導者を褒め称える歌しか知らなかった彼には大きな衝撃だった。韓国にやってきた彼は、ラップの魅力にとりつかれ、ついにはプロのラッパーの座にのぼりつめたのだ。

「北朝鮮を知って」

カンさんは、聯合ニュースのインタビューに次のように答えた。

「自分のラップを通じて、みんなが北朝鮮や脱北者について少しでもわかってくれたいい。いつか統一されたら、南北の若者が分かり合うための架け橋になるアーティストになるのが夢だ」

彼の「For the freedom」の歌詞の一部を抜粋して紹介する。

俺が生まれたのは北、86年生まれの寅年
ブタ野郎の3年後の生まれ
だけど、子どもの頃はお前のこと知らなかった
生きるのに必死で街をさまよっていたから

俺のリリックにパンチラインが要らねー意味
吐き出すだけでも辛いぜその意味
後悔しても遅い噛み締めろ奥歯
ボコられて泣きながら逃げた市場お前のマミー

あの地では李雪主(リ・ソルチュ)が祖国の母
But she`s not my オモニ 
母ちゃんがアオジで得たのは結核
土掘って儲けたカネ奪って作った核

Oh shit 腹の贅肉落とせよ
挑発はやめる時が来たぜシックスパック
目線で増えるぜ肉と恥
disはもうやめ ここからは俺の話

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