連載・日本の対北朝鮮情報力を検証する/海上保安庁編(3)

時代がミレニアムまで残すところ10年となった頃、当時30代だった海上保安庁(海保)の若手幹部の両肩に、組織の野望とプライドがのしかかった。その幹部こそが、“海の公安”とも言える同庁警備情報課を作り上げた男、Nである。

彼に託されたのは、原発用のMOX燃料輸送船を警備する特殊部隊を創設するという、前代未聞のミッションだった。

「武装兵士の護衛を」

日本政府は1984年、プルサーマル発電に使用するMOX燃料をフランスから初めて輸送した。この際、プルトニウム型核兵器の原料にもなるMOX燃料がテロリストに奪取されることを恐れた米・仏海軍は、輸送船「晴新丸」に駆逐艦を随伴させて警備したと言われる。

そしてこの経験から、1988年に改定された日米原子力協定では、核物質輸送に当たっての「特別の措置」が日本政府に義務付けられた。つまり、1992年に予定されていた2回目のMOX燃料輸送では、武装した兵士による乗船警備と戦闘艦艇での護衛が求められたのだ。

この「特別の措置」を海保と海上自衛隊のどちらに行わせるかという政府内での議論は、自然と「海保に」との結論になった。自衛隊のペルシャ湾派遣(1991年)やカンボジアPKO(1992年)すら想像もされていなかった当時、自衛隊を海外に出すということは、理由のいかんを問わず、時の政権にとって命取りの選択だったからだ。

自衛隊を見返す

だが海保は、遠くフランスから地球を半周するミッションを遂行できる巡視船も、特別に訓練された兵士も持たなかった。

そこで海保は、初めての軍艦構造となる大型巡視船「しきしま」の建造を急ぐとともに、Nに「特殊部隊」の創設を命じたという。海保にとって、MOX燃料輸送を成功させることは、海自に対する積年の劣等感を払拭する絶好の機会でもあったのだ。

当時の日本では、ハイジャック事件に対応する「SAT」(特殊急襲部隊)の前身部隊が警視庁や大阪府警などに置かれてはいたが、これらは機動隊に非公式に置かれた部隊であり、訓練内容からしても特殊部隊といえる代物ではなかった。

そんな中、「日本初の特殊部隊を作れ」との特命を下されたNの胸の高鳴りは、いかばかりだったろうか。

米海軍は拒絶

しかし、その興奮が焦燥に変わるのに大して時間はかからなかった。

Nは海保のカウンターパートである米沿岸警備隊を通じて、米海軍特殊部隊「SEALs」にアドバイスと訓練を依頼したが、これはにべなく拒否される。SEALsの答えは、「法執行機関である海保は、SATに協力を要請すべき」というものだった。

SEALsの言い分には一理ある。同じ特殊部隊といっても、犯罪者の鎮圧を目的とするSWATなどの警察特殊部隊と、偵察や暗殺、襲撃を目的とする軍特殊部隊では、その編成や装備、訓練がまったく異なるからだ。

NはSEALsの回答に落胆したが、諦めるわけにはいかなった。海保が特殊部隊を創設できないということになれば、MOX燃料輸送の警備任務は海自や警察のSATに任せようという議論が再び起こりかねない。海保のプライドにかけて、それだけは避けなければならなかった。

日系人の「戦争のプロ」

そんな中、Nはある噂を耳にした。

1996年12月に発生したペルー大使公邸占拠事件で、ペルー軍特殊部隊のアドバイザーとなった日系アメリカ人がいるといものだ。

Nは早速、米陸軍兵士として朝鮮戦争を戦い、その後は傭兵として世界を転戦し、米国で軍事アドバイザーを務めていたテッド新井とコンタクトを取った。

テッド新井から、「日系人として祖国に恩返しできれば」との返事を受けたNの行動は早かった。

「海の公安」のボスへ

自ら米国へ飛ぶとともに、特殊部隊要員の予定者を呼び寄せ、実戦経験豊富なテッド新井から戦闘射撃や格闘術などの近接戦闘技術を学び、特殊部隊としての基礎を整えた。

このようにして、MOX燃料輸送船「あかつき丸」に乗船して警備する「輸送船警乗隊」――現在の「特殊警備隊(SST)」の前身――は創設された。

SSTは、1999年3月の能登半島沖北朝鮮不審船事件、2001年1月の九州南西海域北朝鮮工作船事件に出動したほか、外国漁船による密漁や覚せい剤の「瀬取り」摘発などで頻繁に出動しているという。

海保に“実戦”経験随一と誇るSSTを作り上げた新進気鋭の幹部であったNは、 “海の公安”のボスとなるべく、こうしてその一歩を踏み出したのだ。(つづく)

(取材・文/ジャーナリスト三城隆)
【連載】対北情報戦の内幕

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